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36の日常
3年6組は席替えをしようという声が絶え間なく湧き起こる。 他の組に比べても、明らかに席替えの回数が多い。 それは菊丸のせい。 「大石ったらさぁ」「大石ってね」「大石がねぇ」 登校してから下校するまで、延々と大石ネタを披露する菊丸。 自慢したくて仕方がないのだ。 最初のうちは面白がって聞いてやる。 そのうち我慢して聞いてやる。 そして終いには気分が悪くなって来て、ある日叫ぶのだ。 「先生、席替えしてください!」 これは菊丸にとっても好都合である。 また違う人間が周りに座るので、最初から話ができる。 どうして大石が好きか、大石のどこが好きか、 どうやって大石を落としたか、などなど、延々と話す。 興奮して声も大きくなっているので、クラス中に声が響き渡る。 前後左右に座る憂き目にあったことのない人間でも、 3年6組の人間ならば1学期も終わる頃から既に全員が大石通になっている。 だけど菊丸は今日も話すのだ。 「昨日ねぇ、大石と一緒に帰ったんだぁ」 菊丸は自分の席に座って後ろを向いて話している。 終業のHR前の時間、教師がそろそろ来るので席から離れるわけにもいかず、 このように振り向かれて机の正面にかじりつかれては話を聞かないわけには いかない犠牲者、鈴木くんはおざなりに相づちをうつ。 「うん、でも毎日一緒に帰ってるんじゃ…」 「そうなの、俺たちってらぶらぶだから、毎日一緒に帰るんだよね〜。 大石って成績優秀で頭脳明晰で容姿端麗で 品行方正だからクラス委員も副部長もやってて忙しいじゃん? だから俺、ちゃんと待ってるの。そんで手をつないで一緒に帰るの〜」 「容姿端麗は関係ないんじゃ…」 菊丸は人の話を完全に無視してべらべら話し続ける。 「でね、でね。俺が教室で待ってたら、大石が ”英二、お待たせ”って笑顔で迎えに来たの。 またその笑顔がサワヤカでカッコよくってさぁ。 しかもあの声!すごく通る声なんだよ〜。 落ち着いてて。もうドキドキしちゃう」 「それって昨日も同じこと言ってたんじゃ…」 「それでね、一緒に歩いてたら、世の中の女がみんな 大石のこと見て振り向くわけ! やっぱカッコいいもんにゃ〜。 でも俺、ちょっとジェラシー、っての?」 「そんなの気のせいなんじゃ…」 鈴木くんのささやかな抵抗の言葉も、やっぱり菊丸は聞いていない。 身をよじって悔しさを表現しつつ、まだ喋る。まだまだ喋る。 「だからね、女の人が視界に入るたびにちゅーすることにしたんだ。 ホラ、そしたら大石は俺のだ〜ってわかるじゃん? 我ながらグッドアイディアだよな! そしたら女のヒトって多いんだなぁ〜。 何度もちゅーできて、すっごいお得な感じがした。 今日もそうやって帰ろうと思うんだ〜」 鈴木くんはだんだん胸くそが悪くなってきた。 反論する気力も相づちもうつ気力も失せてきた。 肯く気力すら絞り出すのに必死である。 それにしても、自分がそのちゅーの現場に居合わせなくてよかった。 鈴木くんも運動部に所属しているので、帰る時間がテニス部とかち合う可能性もある。 今後はこのバカップルが周りにいないことを確認してから帰ろうと心に誓う。 「でもさぁ。何度もちゅーしてたら唇が痛くなっちゃうかなぁ って思ったけど、そんなこと全然なかったんだよ〜。 きっと大石と俺の唇は仲良しになる為に生まれてきたから、 何度くっついても痛くないんだにゃ〜」 菊丸はまだ話し続けている。 鈴木くんの顔がいよいよ青ざめてきているのもお構いなしである。 昨日のことを思い出しているのか、目がうっとりしている。 こんなことなら鈴木くんも聞いていようがいまいが同じことなのだが、 鈴木くんの耳には容赦なく菊丸の言葉がどんどん飛び込んでくる。 いっそ耳を塞いでしまいたいが、鈴木くんはいい人なので、それも出来ない。 いよいよ菊丸は調子に乗り、頭の中が大石でいっぱいになり、 結果、言葉が甘えたネコ語になってくる。 「それでも大石は優しいから、痛くないか?って聞いてくれるにゃん。 でねっ。んーでねっ、別れ際のばいばいまた明日のちゅーの時、 ちゅーの代わりに唇をぺろん、って舐めてくれたのにゃ〜! もう俺幸せにゃ〜。 あんな優しくてカッコいい彼氏がいるなんて、夢みたいにゃん? 俺、こうやって大石に愛される為だけに生まれてきたのにゃ〜。 もううっとりにゃ。ね、鈴木!」 ね、って言われても、鈴木くんはうっとりしてない、ぐったりしてる。 もううんざりだ。 うんざりって言うか、げんなりって言うか、もう沢山だ。 助けてくれ。そう叫びたいのに、残念ながら叫ぶ気力も菊丸のバカ話に奪われてしまった。 あとは教師がHRの為に早く教室に来てくれることをひたすら祈るしかできない鈴木くん。 でも菊丸の人のことなどお構いなしの暴走はまだまだヒートアップしながら続く。 さながら鈴木くんの気力を菊丸が吸い取り、鈴木くんは萎えきり、 菊丸は更に元気を増す、といった風情である。 と、菊丸はやおら立ち上がり、鈴木くんの肩をがしっと掴んで、 がくがく前後にゆすぶりだした。 哀れな鈴木くんは訳がわからず、揺さぶられるがままに首をがくがくさせている。 「問題は、昨日は俺んちの都合で、そのままばいばいして帰らなくちゃ いけない日だったってことでさ! あんな風にぺろん、って大石の舌で舐められて、すっげー気持ちよかったのに、 それなのにそのまま帰んなくっちゃいけないなんで地獄だったわけ! あれで俺に時間があったらさぁ…」 菊丸は突然鈴木くんを揺すぶっていた手を止め、ぽーっと宙を仰ぎ見る。 突然陶酔モードに入ってしまったようだ。 鈴木くんは菊丸に肩を掴まれたまま、まだぐらぐら世界が 揺れているような気分で聞いているような聞いていないような。 周囲の人間は見ているような見ていないような。 ここで菊丸と目があえば次の標的になるだけなので、横目でちらちら盗み見ている。 当然菊丸はさっきから大声で叫んでいるので、話はクラス中につつぬけである。 菊丸はぽーっとうわごとのように話す。 目の前にこそいないが、彼の目には大石秀一郎、その人が見えているようだ。 「そうにゃん。もっと時間があったら、おーいしにもっとぺろぺろして貰えたにゃ〜。 唇だけじゃなくって、あんなトコやこんなトコも。 もしかするとあのあたりも! あ〜ん。もったいないことしたにゃ〜。 おーいしはぺろぺろがウマイのににゃ〜。 この前だって恥ずかしいって言ってるのに・・・」 菊丸は暴走しまくり、爆走しまくりでとどまることを知らない。 教師はまだ来ない。 鈴木くんは気が遠くなってきた。 遠ざかる意識の片隅で、彼は席替えの神様(そんなものがいるのなら)を呪った。 どうして野郎同士の下ネタノロケ話を目の前で披露されねばならないのだ! どうしてこの俺が!クジ運が悪くてこの席に座ったというただそれだけの理由で! その時、澱んだ沈黙に包まれていた教室に春の風のような爽やかなテノールが響き渡った。 「英二、HR終わったか?」 6組の教室のドアに大石その人の姿が現れた。 6組の教室はざわめく。 つい今までノロケの対象となっていた、ぺろぺろがうまいという、あの大石・・・ どこか大人びた雰囲気のあるやつだとは思っていたが、 そんなテクニックまでも大人なみ、いや、もしかすると大人顔負けとは・・・ リンドウの花のような清純そうな顔をしておいて、やることはすごいのか・・・ 妖しい視線が大石に突き刺さる。 大石は不思議そうな顔をする。 なんでクラスの全員がこっちを見ているんだ? しかも大半の人間が、うっすら赤面しているのは何故なんだ? 菊丸は大石の姿を認めるなり、さっきまでつかんでいた鈴木くんの肩を、 どっかん、と突き放して大石のもとへ走り、腕の中にもぐりこむ。 「あ〜ん、お〜いし〜。先生がまだ来ないのにゃ〜。部活行っちゃう?」 「うん、そうだね。今からHRだとまだまだかかりそうだし、先に行ってようかな」 大石は優しげな笑顔を菊丸に向ける。 菊丸はもうそれだけでお腹がいっぱいになった時のように、 胃の上のところがぽかぽかしてくる。 「あのねぇ、大石。さっき鈴木に昨日の帰りのこと教えちゃったん」 甘え声で菊丸が言う。 いや、鈴木くんだけではなく、クラスの全員に教えちゃってた。 「え、話したの?」 大石が少しだけ困ったような顔をする。 鈴木くんをはじめとする6組の全員が 「そうだ、大石!あまりそういうバカな話を教室でもどこでもしないよう、菊丸に諸注意をしてやってくれ!」 と大石に期待を込めて、色めきだち、一心に大石の常識あふれる次の言葉を待った。 クラス委員にしてテニス部副部長、学力テストでは毎回5位以内の常連、 教師の覚えもめでたく、いつでも人のことを重んじて行動する気遣いの人、 ちょっとシャイなナイスガイ、「政夫さんはリンドウのようだわ」大石秀一郎なら 間違いなくそうしてくれるはずだと一同は確信していた。 大石秀一郎なら! だが大石は・・・ 「そうか、幸せのおすそ分けだね」 と史上最高の笑顔で言うと、 菊丸の赤い髪にまっすぐの鼻梁をもぐりこませてキスをしたのだ。 「はいはい、そこの二人組。HR始めるから離れてね!」 6組の担任教師が教室に入ってくる。 そのとたん、鈴木くんが残された最後の気力をふりしぼって立ち上がり、叫んだ。 「先生!席替えしてください!!」 ←back to top |