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ダメな男に惚れるということ
O型の人間と言うのは、ズボラだ。 ただし、本人はそれほど自覚はない。 何故なら、O型の人間は、端から見ればどうでもいいようなところに妙なこだわりを持っており、 そこだけ、一極集中的にきちんとしていなければ気が済まないからだ。 本人は、そこが整っていればあとはどうでもいいので、 自分としてはなかなかきちんとした人間だと自己評価をするわけだ。 しかし、端から見れば、やはりO型の人間はズボラだ。 俺はA型なので、そういう点に苛つくことが多々ある。 彼は典型的なO型なので、まったく理解しがたい生き物であると思う。 毎日毎日学食でおかめそばを啜っているので、余程それが好きなのかとずっと思っていた。 ある日、一人で学食の片隅に彼を発見したので、自分のトレイを持って、前に移動した。 「またおかめそば」 「あ、英二」 この言葉は、口から蕎麦を垂らしている状態では至極不明瞭だ。 「おいしいの、俺も今度それにしようかな」 垂れ下がった蕎麦をもぐもぐと口の中に押し込んで、彼は顔を上げる。 「おいしくないよ、蕎麦はのびてるし、具はいやに甘い」 「毎日食べてるじゃん」 「うん、面倒くさいからね」 「面倒って何が」 「選ぶのが」 学食のカウンターを眺めても、そう広いわけではない。 メニューは、日替わり定食AとB、週代わり定食C、カレー、ラーメン、 うどん、そば、くらいしかない。 これだけしかない選択肢から一つ選ぶのに、一体何が面倒なのか。 振り返ってメニューを見て呆れ返る俺の後頭部に、彼が蕎麦をすする、 ぞぞぞ、という音が跳ね返る。 練習が終わって皆が着替えている最中、不二がロッカーから箱を出してきた。 結構大きな白い箱。 「頂き物なんだけど、数がすごいから、みんなで食べなさいって母親が」 と、開けると、焼き菓子がずらっと並んでいた。 食べ盛りの青少年たちは大騒ぎになる。 「包みの色が違うのは何かあるんですか」 「中のクリームの味が違うんだよ。茶色はチョコかな、緑が抹茶で、赤はイチゴ、 とかそんな感じじゃない。6種類あるから、適当に好きなのを選んでよ」 こういうときには、さすがに体育会系、上の学年のものが取るまで、下のものは取らない。 1,2年は3年の俺たちがみんな取り終わるまで、じっと我慢している。 自分の狙った色のものがなくならないように、じっとに睨みながら、おあずけくった犬のように待つ。 「俺、イチゴ!」 さっさと取ってやらないと、と思い、俺は遠慮せずに自分の欲しいのを取る。 一人が取ると後は早い。 礼を言いながらみんな取っていくのだが・・・案の定、大石はぼけーっとしている。 そして、さらっと言うのだ。 「俺はあとでいいよ。先にみんなに選ばせてやってくれ」 「大石は大人だね」 「さすが大石先輩」 違うのだ、彼は本当に選べないだけなのだ。 全員取り終わって、箱には2つだけ焼き菓子が残っていた。 取っていないのは、持ってきた本人、不二と、大石だけになった。 「大石、ごめんね、これでもいいかな」 何とラッキーなことだろう、箱に残った菓子の包み紙は、2つとも紫色をしていた。 「勿論だよ」 大石はにっこり笑って不二から一つ受け取っていた。 それをもぐもぐと食べて、「おいしかったよ、ごちそうさま」 と確かに言っていたように思ったのだけれど、 帰り道に「紫の包みは何味だった?やっぱりぶどう?」と訊くと 「分からないけど甘くておいしかった」という、どうしようもない答えが返って来た。 だけれど、彼は美味しい、不味いには案外敏感だ。 問題は、美味しかろうが不味かろうが、最後まで同じ顔で食べることだ。 「簡単にカレーでいいよね」 「うん」 彼の家に誰もいない時には食事を作りに行く。 ほっとくとコーヒーだけ飲んで寝てしまうので、何か食べさせなければと思うのだ。 俺もいい加減世話焼き女房のようだと思う。 「やあ、美味しそうだな」 食卓に並んだカレーと色とりどりのサラダを見て、大石は嬉しそうに笑う。 「頂きます」 スプーンを手にして、カレーに差し込む。 もぐもぐ。もぐもぐ。 ふっと気づいて声をかける。 「何で真っ白のご飯食べてるの」 「ん?」 「カレーはどこ行ったの」 「食べたよ、美味しかった」 見ると、彼から見て右側が綺麗になくなっており、左側の白米を 彼はもちもちとスプーンですくって口に運んでいた。 カレーは右側にかけていたので、右からさくさく食べていた彼は、 それだけを食べ、それから今はようやく米に到達したというわけだ。 「どうして混ぜないの」 「混ぜるの」 米だけになったお皿を、さくさくスプーンで混ぜ出すバカ一人。 そのとぼけた様子を見て、俺はついにキレた。 「今更混ぜてどうするんだよ!!」 鳩が豆鉄砲でもくらったかのようにビックリして顔を上げる。 「え、だって、混ぜるって・・・」 「先に混ぜるの!カレーをご飯と混ぜるの!!」 「そんなの汚いじゃないか」 しかめっ面をする。 「じゃあご飯をスプーンに乗っけてから、カレーを掬って食べるとか・・・」 「面倒くさいな、そんなことしなくちゃいけないの?」 「・・・真ん中から食べるとか」 「ああ、それなら出来るよ」 「じゃあ今度からそうしてよ」 「わかった」 次にカレーを食べる彼を見た時には、今度は真ん中からざっくり食べ出し、 どんどん右に食べ進み、結局最後に左側の白米をもちもちすくって得意そうに している姿がそこにあった。 俺はもう呆れて何も言えなかった。 彼に3つ以上の荷物を持たせてもいけないことはよく分かっている。 雨が降っているときには特に要注意だ。 傘とカバン、これ以上のものは彼の手に余る。 かならずどれか一つは落としてくる。 しかも、この落とすさまがすごいのだ。 例えば網棚に置いてきてしまった、というのならまだ分かる。 例えば雨があがった後で傘立てに傘を忘れた、というのはありうべしと思う。 だけれど、彼が落とすと言ったら、本当に「落とす」のだ。 帰り道をもたもた歩いていた彼を発見し、後ろから声をかけようと思って走っていった。 その時、俺は見てしまったのだ。 朝から降っていた雨はその時もう止んでしまっており、彼は紺色の長い傘を左腕にかけていた。 そして、学生カバンを右手に持っていた。 その日は練習がなかったので、肩からかけるテニスバッグではなく、 モロに学生カバンを手にがっちり持っていた。 そして、何かの用があって持ち帰るのだろう、白い模造紙を丸めた長い筒を左手に持っていた。 彼は自らの掟を破り、3つ以上の荷物を持っていたのだ。 突然、道の傍らからカエルが飛び出した。 小さくて緑色をした可愛らしいアマガエルだった。 彼は、にこっとカエルに笑いかけた。 道の端にどけてやろうと思ったのだろう、片手をあけようと、 持っていた荷物をあちこちしている(そもそもその様子がみっともないほど要領が悪い)内に、 一番大きな学生カバンがどすっと音を立てて下に落ちた。 というより、水溜りの出来た道にべちゃっと落ちた。 彼はカバンが落ちたことに気づかず、片手が開いたことに満足してにこっと笑うと、 しゃがみこんで、「こっちに出てきちゃだめだよ、危ないぞ」 などとのたまって、カエルをそっと手のひらに乗せると、河原に向かって歩き出した。 カエルに夢中になって、己の学生カバンを踏み越えて。 数メートル進んだところで、彼ははたと立ち止まって、自分の腕を見た。 いまや右脇に挟まれた傘を見て、彼はにこっと笑う。 「よし、傘は忘れてないな。なくしたら、また怒られちゃうからな」 したり顔で頷き、大満足の表情で、学生カバンを残してすたすたと河原に向かったのである。 俺は見なかったことにしようかとも思ったけれど、やむなくその濡れて、 しかも足型までついた学生カバンを拾い上げ、持っていたティッシュで拭いてやって後を追った。 「ここなら安全だからな。もう出てきちゃだめだぞ」 河原で、彼はカエルを下に下ろして、話しかけていた。 「元気でな」 そういう彼の顔は、本当に優しい。 胸がきゅんとするほど優しい。 河原から舗装された道路に出てくる、芝で覆われた傾斜をえっちらおっちら 上ってくる彼に声をかけた。 「カエル、助けてあげたの」 「やあ、英二、見てたのか」 俺たちは雨上がりの夕焼けの中、肩を並べて歩いた。 「大石は天国に行けるよ、絶対」 「さっきのカエルが助けに来るのか?」 「俺も助けに行くし」 少し暗くなってきたので、彼は手をつなごうと思ったのか、俺の手を捜して、掌をひらひらさせた。 俺は、その手に、先刻拾った彼の学生カバンを握らせる。 「何だ、甘えて。仕方がないな、持ってやるよ」 彼は寛容そうに笑う。 明らかに、今持たせた学生カバンが俺のものと勘違いしている態度に、 呆れるのを通り越して、笑いまで出てきてしまう。 「俺のカバン、持ってくれるの」 「うん、いいよ」 「じゃあ、はい」 彼の空いている脇に、今度こそ俺のカバンを差し込む。 彼はびっくりした顔で振り向く。 さすがに気づいたのだろうと、俺は思ったのだけれど。 だけれど彼は言ったのだ。 「英二、2つもカバンを持ってきたのか!」 二の句も告げない俺を尻目に、彼は頷きながら話し続けた。 「そうかそうか、辞書とか持ち歩くと入りきらないもんな。 英二もやっと勉強に真面目に取り組む気になったのは感心だな。 だけど、何も2つもカバンを持ち歩かなくてもいいと思うぞ。 ほら、お前大きな緑色のバッグ持ってただろう。あれ一つでいいんじゃないかな。 明日からはそうした方がいいな。 2つもカバンを持つと、片方落としたりしかねないからな。 何しろ英二はおっちょこちょいだから」 俺は本当にこの男を助けてやらなくちゃと思う。 天国と地獄の入り口を思いっきり間違って並びそうだ。 そして、地獄に入ってしまってからでも気づかずに、 「やあ、天国ってのは案外暗いんだな」と笑っているに違いない。 ダメな男に惚れるということは。 毎日が生きがいに満ち溢れている。 日々大人になっていく自分を感じる。 自分がしっかりしなければと生活に張りが出る。 だから、ダメな男に惚れるということは とても幸せなことだと思う。 多分ね。 ←back to top |