hands up



誰にも言えない恋をしたことがあるだろうか


誰にも言えないのだ

言わないのではない
言えないのだ

喉をしめつける

息が出来ない

そうして俺は溺れる





「お前の彼女ってさぁ」
「うっせー!またブスとか言うなよ!」

結構男同士はオープンだ。
だれ某と誰はつきあっているとか
つきあってないとか
大抵男の側から漏れてくるものだ

オープンというよりはだらしがないのかも知れない


女はその点、用心深いが、
彼女たちは、話したい欲求に勝てない

こっそり限られた身内にしか話さないが
一度話せば、その話しかしないようになる

どっちもどっちだ

だらしのない口
だらしのない関係

そうして一緒にいるところを目撃しようものなら
そのだらしなさは全身から溢れているのが目に入るだろう


だらしのない存在


所詮恋する生き物はすべからく隙だらけで
迂闊で愚かで弱いのだ





「馬鹿にしてるね、君ったら」

いつの間にか忍び寄る気配
そして声

振り向くとこいつが意地の悪い顔をしている

不二

「そりゃ君はテニス以外目に入らないかも知れないけどさ
あんまりそんな侮蔑の眼差しで見るもんじゃないよ
感じ悪いったらないね」

鼻歌を歌うように刺々しく言う



羨望の眼差しが侮蔑の眼差しに見えるのなら
それは成功しているということなのだろう



「手塚、来週のメニューなんだが」
乾がバインダー片手に近寄ってくる

「このメニューを追加してみたいんだ、どうかな」
「ああ、それなら大石にも…」

俺は的確に知っている
彼が今、この部室のどこにいるか
迷わずにその方向をいつでも振り向ける

俺の右斜め後ろだ
10メートル後方

顔をあげて、左を見る
右を見る

そこで、先に乾が大石を発見する
ちょっとバインダーを掲げて声をかける
「大石、ちょっといいか」
「ああ」


「あ、おーいし、じゃあどうする?」
それを追う菊丸の声
「今日はダメだから、明日でどう?」
「いいよん、じゃあ明日一緒にかえろ!」
「うん」

ふふ、と笑う乾
「また菊丸が大石をひきずりまわすんだろうな、あれは」


傍に来た大石に話しかける
「今度は新しいナイキショップをひやかしに行く、かな?」
「参ったな、乾には」
何となく笑う大石
「でも、すごく大きいらしいよ。俺も見てみたいしね」



それからは無機質な会話
練習のメニュー、時間、コートの整備、備品、そんなこと

乾の細かい文字の並んだメニュー表の上から
大石が太い赤マジックで書き足していく

「お前はいつもながら…」
「何?」
「意外におおざっぱだな」

俺もそれには時々驚くことがある

ノートを見て、まず驚いた
罫線を無視しているのだ
大きな字で、がりがりと書かれている
字が大きいから罫線に入りきらないのだと笑う

字は綺麗なのだが、とにかく罫線を見事に軽やかに無視している
読みにくくはないが、少し秩序がない印象を受ける
とても意外だ

「これじゃ分からないかな」
少し不安そうに自分の書き足した用紙を眺める

「いや、それでわかりやすいところが不思議だ」

確かにそうなのだ
黒板を丸写しにしたようなノートがお手本のように言われるけれど
彼のノートはまったく無秩序なようで、実にわかりやすい
別の意味で、秩序だっているのだろう


「よかった。あとで分からなくなると困るもんな」
聡明そうな額に落ちた前髪が揺れる



そうして話し込んでいるうちに、他の部員は全員帰って行った

菊丸は帰り際に大石に
「明日ね、忘れるなよ!」
とタックルしながら言うのを忘れずに


「まぁ大体こんなとこかな」
「ああ、あとの細かいところは任せる」


夕日がすっかり傾いて、深々と室内に差し込む
その光もとても弱くなってきた

「じゃあ俺はお先に」
乾は手を挙げて帰っていった
部室には大石と俺だけになる





「着替えてないのは俺だけか」

あっけないくらい爽やかに大石は言って、 ロッカーからハンガーにかけた学生服を出す

「手塚、先に帰ってていいよ
鍵はかけて帰るから」

全く意地が悪い男だと思う



誰にも言えない恋をしたことがあるだろうか

誰にも言えない

迂闊に嵌まるぬかるみ



「待っている」
「そうか」

ガタン、と音をさせて椅子をひく
そうして腰を落とす
彼の方を向いて

「あんまり見るなよ、恥ずかしいから」
「今更か」
「言うな、お前も」

シャツの袖に腕を通す
背中のラインが美しい

「今日、どうする」
俺の顔も見ずに、軽く訊ねる

ここで「今日はダメだ」と答えたら、彼はどんな顔をするのだろうか
俺は今までにそんな答をしたことがないけれど

少しは残念そうな顔でもしてみせるのだろうか
少しは理由を聞いてくれるのだろうか
少しは不安な思いをするのだろうか


違う

「そうか」と言って微笑むのだ
それでおしまいなのだ


ずるい男だ


精一杯のプライドと、目一杯の愛情の間を俺はすり抜ける


「ああ、来るか?」


「そうだな」
そこで俺の顔をやっと見やる
「最近ご無沙汰だしな」

どうしてこの顔でこんなことが言えるのだろう
夕日に映えた白い額で

「大石」
「なに」



溺れるものは藁をもつかむのか

俺は溺れて水をつかむ
俺を溺れさせている水を掴む


指の隙間から固まりとなって漏れ出でる


"固まり"


逃げる時にはそうして固まりを感じるのに
掌の中には何も残らない
ただ濡れそぼるだけ



「いや、何でもない」


俺は恋をしているけれど
誰にもいえない恋なのだ


友人にも
家族にも

お前にも言えない恋なのだ






「今日はこれを貸して貰うよ」
大石は俺の部屋の本棚から一冊抜き取り、ぺらぺらとめくる

「お前はうちを図書館だと思っているのか」
「そう言われてもおかしくないよな、この蔵書の多さは」

確かにうちは本が山のようにある
祖父から貰ったものが殆どだ

「それは悲しい本だ」
「遺作だよな」
「ああ」

やけくそに悲しい

書ききれずに死んだ、その遺作
最後まで書いていたのだろうか
彼もやけくそだったのだろうか


一緒に死んだ女のことなどきっと愛してもいなかった
ただ、彼は一人では死ねなかったのだ
それほどに脆弱な男だったのだ


「なんて顔をするんだ、手塚」
大石は微笑んで俺の頬に手を伸ばす
「作家が死んだのはお前には関係ないことだ」
俺の眼鏡を外す
「この本とも関係のないことだ」
俺の唇に唇を重ねる
「俺たちには関係ないんだ」
夢見るように囁く


「何て顔だ」
繰り返す
「嬉しいのか」
俺の胸のボタンを外す
「悲しいのか」
鎖骨を甘噛みする
「悔しいのか」
ベルトに手をかける
「それとも」
ジッパーを下ろす
「分からないのか」



彼はいつでも的確だ



いやらしい男だと思う
いやらしいセックスをする
いやらしい舌づかいをする
いやらしい腰の動きをする

いや、そもそもセックスとはいやらしいのか

俺には最早それも分からない


セックスをしている時だけは、俺は恋している自分を解放できる
だからセックスが好きだ
このいやらしい男に抱かれるのが好きだ

「大石、そこは…」
「何だ」
べちょ、と舐める
固く閉じた腋から舌をこじ入れる

「や…め…」
大石はそこを舐めるのが好きだ
汗の味が一番濃いと言う
毛が舌に絡みつくのもたまらないと言う

「少し酸っぱい」
舌なめずりをする
「それがいい」

俺の手首をねじり上げて左腋を開かせる

軽く身悶える
これから襲ってくる快楽に身震いする


「大石…やめろ」
なけなしの抵抗を見せる
嬉しい顔をしてはいけない

「お前のこの窪みが好きだよ」
空いた方の手で腋の窪みをなぞる
「ここで熱帯魚を飼いたいくらいだ」


南米の小型種がいい
できれば、そうだな、ミクロポエキリア・ブランネリィ
きっと素敵だ
お前の毛が水草みたいにゆらゆら揺れて
そこで泳ぐブランネリィ
ミニマもいいけど
お前の肌の色にはきっとブランネリィがいい



どうしてこの男は
絶望的な殺し文句をいくつも持っているのか


「この匂いがいい」
腋毛に鼻を埋める
「この味、この感触、何もかもがいい」

俺の腋毛は少し薄い
色も薄いし、数も少ない
そして縮れていない

「もっと縮れるといいな」
微笑む
さながら植木鉢の前で、撒いた種が芽を出す日を焦がれるように
目を細めて優しい顔をする
「そうしたら、きっともっといい匂いがするようになる」

舌の腹で舐め上げる
ゆっくりとした濃い愛撫
俺は吐息を漏らす


この時には夢中になれる
宙ぶらりんな自分を不安がらなくてもいい
愛されているのかとか
遊ばれているのかとか
自分の立っているところが分からないとか
これから俺たちはどこに流れ着くのだろうとか
いつまで一緒にいられるのだろうとか

そんなことは考えないでいい

ただ、ここに二つの肉体が存在して
重なり合って交わる
実存している俺たち

それだけ

「なんて顔だ」
頬をさする
この優しい手のひらが好きだ

「自分では見えない」

額を出すのは好きではない
でも、この場合にはその限りではない

さく
軽く前髪をかきあげる
「これがお前の顔なんだな」

そうして大石は俺を貫く

必ず俺の両腕を枕の上に高くあげさせたまま




彼は俺よりも背が低いし
俺よりも華奢な身体をしている

どうしてこんな関係になったのか
どうしてこんなことをするようになったのか
もう忘れた

覚えているけれども
忘れた

どっちが誘ったからとか
どっちが手を出したとか
そんなことは今更どうでもいい話だ


始まりはどうであれ
俺はどうしたって溺れているのだ






何の時だったか
そもそも、どうしてああいう顔合わせだったのか

「道端に落ちているエロ本って妙にヤらしいよね」
気軽にそういう話を始めたのは菊丸だった

「ああ、分かりますよ、それ!」
桃城が熱く同意した

何でそんな話が始まったのかはかなりハッキリしている
目の前に落ちていたのだ
そのものが

「あ、あのさ」
菊丸は少し赤くなる
「それでさ、時々、変なことになったりしねぇ?」

「なりますねぇ…」
これまた赤面しつつ桃城が答える

その会話はそれっきりだった
俺たちは何となくわざとらしく大股に歩き、
わざとらしくページが開いたまま落ちている雑誌をまたぎ、
わざとらしく会話の趣旨を変えた



「というような会話を…だな」
これまた、何でそういう話を大石にしたのかは忘れた

俺は少し聞いてみたかったのかもしれない
俺だけがおかしいのかということを


俺の部屋で藤椅子に腰掛けて本を開いていた彼は
顔をあげて唐突な俺の話を聞いていた
そして少し笑ったのだ

「青少年なら当り前じゃないか?
だけど確かに処置に困るよな」
何のてらいもなく笑った

俺は泣き喚きたくなったけれども
「そうだな」と答えたような気がする


どうしてくれるんだ
責任取れよ


何故言わないのだろう
俺は彼に何一つとして大事なことを言っていない気がする



「は…っ…」
大石は突然額に手をあてて笑う

「何がおかしい」

「いや、なんでもない」
そうして口元にその手をずらせて、まだくすくす笑う

どうして彼に言わないのだろう

俺はそういうのが嫌なこと
俺は不安でたまらないこと

そんなことすら言えない


だけど、彼は時々おかしなことを言う
「いや、ごめん、やっぱり言うよ」
くすくす笑いながら、肩を震わせる
何がそんなにおかしいのか、その方が知りたいくらいだ

立ち上がって近寄る
目の前まで来たかと思うと
彼の着ているシャツのチェック柄で視界が覆い尽くされる

「俺さ」
顔を押し付けた、その彼の胸筋が震える
くっくっく、と震える
「お前に余程惚れてるなって」


どうして彼に言わないのだろう

胸が苦しいほど好きなこと
身体中におこりが走るほど幸せなこと

彼は時々気が狂ったのかと思うほどハイになる
その時もそうだった
笑いが止まらなかった

「最近、ベッドのマット下に手を入れてない」
くすくす笑いながら告白する
「用がないのもあるけど、興味が薄れてるんだな」

「古典的な隠し場所だ」

「ああ、そうだな」
そうして更に笑う



その日のセックスはすごく燃えた

俺はうわごとのように何度も彼の名を呼んだ

彼は珍しく早く達したけれども、それでいて何度も求めた
俺はそれに応じて
何度も互いの上に身体を重ねた




好きだとか愛しているとか
確認しあったことはないような気がする

俺たちは既成事実の上にあぐらをかいているのだ




人に殊更に自慢したいとか
のろけてみたいとか
悩みを聞いて欲しいとか
意見を聞いてみたいとか
それはさほど思わない

ただ、人に言えない
言ってはいけない
悟られてもいけない
この事実の圧迫感

胸が苦しい
息が詰まる



彼はあまり構わない人間で
人がなついてくれば応えるけれど
自分から誘ったり
自分から声をかけたりはしない


何故か1年の頃から
彼は俺に限って
自分から声をかけてきた


俺は己惚れた


そして溺れた






「大石、今日は早く出ようねぇ」
菊丸が練習の終わり頃に大石に声をかける

「オッケ」
にこにこと笑顔と共にボールを打ち返す

「なに、今日はデート?」
不二が面白そうに二人に訊ねる

「うん、ね、おーいし!」
「そうだな」
冗談と分かっていても、心が乱れる

「いいな、仲よくって。僕もついて行っちゃおうかな」
「あー、ダメだよぉ、久々に二人で行くんだから
ね、おーいし!」

どうしてそんなことを言わせておくのだろう


俺は聞きたくてたまらない
彼は、仮に逆の立場だったらどう思うのか


「つまんなーい」
そういう不二の声は、楽しそうだ
「じゃあ僕は手塚と行こうかな、ね、手塚」


俺は返事をすることも忘れた
ただ、彼の反応を見たかった
こういう時にどんな顔をするのか


だけど

彼はふんわり笑ったままだった


俺をからかったつもりの不二は
「そんなに絶句しなくてもいいじゃない」
と笑って俺の肩をポンポン、と叩いて向こうへ歩いて行った



喉が苦しい
息が出来ない

俺は大石を凝視したまま溺れる



ちょこちょこ、と菊丸が走り寄ってくる
「手塚、一緒に行かない?」
「え?」


「そうだよ、一緒に行こう」
にこにこ笑う大石

「お前はナイキに興味ないかも知れないけど、
新しい店はすごく大きいらしいし、たまにはいいんじゃないか?」


俺はそんなに寂しそうな顔をしたのだろうか
この菊丸にも分かるほどに







「突撃!隣の晩ごはん!」
今年の2年は活動的で、お祭り騒ぎの好きな奴が多い
今日も今日とて桃城・荒井コンビが何やら騒ぎ出す

「インタビューでっす」
「きのーのオカズは何でしたかっ」

「えと、俺、雑誌の広告」
「うわ、貧乏くさ」

下ネタは安易な話題だ
微妙な距離感を計りつつ、少しずつ会話は盛り上がる

「エロトピア!」
「カルトだな、それ!」


俺は昨日を思い出す
正確には今朝だ


「大石先輩!ここはビシっときめてくださいよ」
「俺?」
「そうっす!」

「うーん・・・好きな人の身体かな」
「妄想っスか!」
「さすがっすね!」


「妄想ねぇ…」
突然静かになる部室内
大石は不敵に笑う

「どうかな」





「大石、先刻のはどうかと思うぞ」
「何が」
「桃城と荒井の…」
「ああ、あれ」

誰もいなくなった部室
バタン、とロッカーの扉を閉める


「嘘じゃないだろう」


目をそらせた方向には窓
夕日が目に差し込む
一瞬目の前が暗くなる


今朝の光を思い出した
色違いの朝の光



『寝起きの肌はまた格別だな』

『光が違うとツヤまで違う』

『お前も自分で擦れよ、大きくしてるくせに』

『その肌に俺をかけるよ』




「俺さ」
がさっとバッグを担ぎ上げる

「最近ダメなんだよな、女の裸じゃ」


ふわりと笑う

「勃起しない」




「俺はずっとそうだ」




「言えよ、もっと早く」
「言えばどうなったんだ」


胸に俺の頭を抱く
少し俺よりも背の低い男


「もっと愛してやるよ」


俺は沈んでいく自分を感じる
深みへと沈んでゆく

溺れる

この恋に溺れて水を掴む





"hands up"
dedicated to Ms.S.Kingin with very love and special thanx.
our best regards from cada dia & submission.






←back to top