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とある冬の日の僕ら
「英二・・・」 コンコンと部屋の窓を叩く。 反対の手は木の幹をがっしと掴んでいるけれど、寒さでブルブル震えている。 ここまでの木登りで、既に右手の爪が2本折れ、左手の甲がミミズ腫れになってしまったが、 それでも俺は諦めない。 諦めてなるものか。 折角ここまで登ってきたんだ。 菊丸家の傍に生えている大きなモチの木。 そこに俺はよじ登り、2階の英二の部屋の窓に腕を伸ばしてコンコンと叩き続ける。 頼むから気づいてくれ、と。 窓には明かりが灯っており、電気の消灯にうるさい菊丸家では、誰も居ない部屋に 電気がついたままになっているはずがない。 英二が部屋の中にいるはずだ。 俺だって勝算もなくこんな惨めなマネをしているわけじゃないんだ。 何で俺が冬の夜11時に、菊丸家の2階の窓辺でこんな悲しいことをしているかというと。 今日、英二と喧嘩をした。 原因はつまらないことだ。 だけど、俺は子供で、英二も子供で、どちらも譲らなかった。 終いには「もう別れる!大石なんか大嫌いだ!」と叫ぶ英二に、 「俺ももうお前みたいな分からず屋とつきあうのは、もうごめんだ!」 と叫び返してしまった。 あんなこと、言うつもりじゃなかった。 俺が少し折れればよかった。 もちろん、英二だって少しは折れてくれてもよかった。 だけど、英二は俺の頬をバチンと平手で打って、そのまま帰ってしまった。 キスすればよかったんだ。 とにかく、抱きしめてキスをすればよかった。 それなのに、俺はそれが出来なかった。 自分の激情を持て余すだけでいっぱいになっていた。 それで、俺はこんな情けない姿で、冬の夜空の下で震えながら、 木にしがみついて英二の部屋の窓をコツコツと叩いている。 あの時、英二の涙に戸惑わず、ちゃんと謝っていれば、こんなに 情けないことをせずに済んだものを。 英二が泣くと、いつでもドキドキする。 気が強いくせに、がーっと一方的に怒って、言いたいだけ言ってから、突然泣く。 あれはずるい。 まったくもって卑怯だ。 泣けば済むと思うな、男のくせに。 俺は一度だって泣いたことがないじゃないか。 そのことをお前は考えたことがあるのか。 「英二・・・俺」 コツコツとまた窓のガラスを叩く。 だけど、英二、お前に泣かれると俺は徹底的に弱い。 可愛い大きな目に、いっぱいに涙を溜めて、ぽろっとそれが流れた瞬間、 俺は途端に言葉に詰まる。 お前も途端に無口になる。 黙ったまま睨みあって、お前の茶色い瞳からは後から後から涙が溢れる。 好きなんだよ、俺の天使。 お前を泣かせたことを後悔する。 俺は絶対に悪くないって、その時まで完全に信じていたのに、途端にそれが崩れる。 お前を泣かせた俺が悪いと、俺は自分を責め出す。 お前にはずっと笑っていて欲しい。 「英二、頼む、開けてくれ」 さすがに寒い。俺の右腕もそろそろ限界だ。 窓を叩く左手もかじかみ、力の微妙な加減が出来なくなってきている。 このままでは階下のご家族にバレてしまう。 こんな時間の来訪者を、誰が快く思うだろう。 だから俺は、ここで凍えて窓を叩いているというのに。 突然、しゃっとカーテンが開き、目の前を光が眩く照らす。 ああ、助かった、と思うのと同時に、ガラっと窓が開いて、 半端なく大きなシャベルを構えた男が目の前に現れた。 俺は驚いた。 英二じゃない。 もっと大きな男。 驚いたついでに、片方の手、そう、木の幹を掴んでいた手を離してしまった。 「うっ・・・あああああああ!」 したたかに後頭部を打って、気絶しかかった俺の視界の先、 先刻叩いていた窓から、見覚えのある顔がこちらを見下ろしている。 「大石くん、大石くんじゃないか!しっかりしろ!今行くから! おい、みんな、大石くんが庭に落ちてるぞ!」 忘れていた、英二はお兄さんと相部屋だってことを・・・。 俺は朦朧とする意識の片隅でそう思い出した。 一番に飛んできてくれたのは、英二だった。 「大石!大石、何でこんなところに落ちてるの!誰の落し物!」 俺を抱きかかえて、英二は叫び、俺の頭をぎゅっと胸に押し付ける。 「大石、死んじゃやだ!お願い、俺を置いていかないで!」 「英二・・・」 ああ、やっぱりこいつだけだ。 こいつだけが、俺を愛してくれるし、俺が愛している人なんだ、 そう胸の内が暖かくなったのもつかの間、英二はがばっと俺を胸から引き剥がし、 ばっしばっしと頬を叩き出す。 「大石!お願い!目を覚まして!死んじゃやだ!大石、お願い!」 俺は、このままでは英二に殺されてしまうと、その手を止める。 もちろん、ちゃんと目を開いて。 「英二、頼むからやめてくれ。俺は死なない。いいな」 こっくりと気おされた英二が頷くのを待って、俺はもう一度目を閉じて、 ガックリと全身の力を抜く。 とにかく。 俺は死にそうに全身が痛いんだ。 それだけは確かで、だからってその為に殺されてはたまらない。 「大石、何・・・しに来たんだよ、こんな時間に」 「昼間のこと、謝りに」 英二は、くん、と鼻を鳴らす。 「だからって何で庭に転がってるんだよ。座り込みデモ?」 「だから、落ちたんだよ、モチの木から・・・英二の部屋の窓を叩いてたら、 お兄さんが出てきて、驚いてさ・・・」 「バカ。バカ大石」 ぎう、と英二は俺の胸を抱える。 痛いんだよ、俺の可愛い子ちゃん。痛いってば。 「そんなことしなくっても、俺、ちゃんと分かってるんだから」 ぐずぐずと鼻を鳴らす、俺の可愛い英二。 泣くなよ、泣くなってば。 ごめんな、英二。 泣かせてばっかりで、ごめんな。 「俺、自分が悪いって、ちゃんと分かってるんだから。 俺が謝らなくちゃいけないって、分かってるんだから。 ずるいよ、大石。大石」 「とにかくさ、家に入ったらどうよ」 白々しい声に顔を上げると、菊丸家、全員総出演だ。 おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、 小さいお姉さん、小さいお兄さん、とにかく・・・全員だ。 「あ・・・すみません、お邪魔します・・・」 忘れてた、みんなのことを。 俺はとにかく忘れすぎだ、何もかも。 「携帯に電話してくれればよかったのに、何でそうしなかったの」 英二の部屋。とても暖かい部屋の中で、英二は俺の腕の裂傷 (落下の際に枝にひっかけて裂けたらしい)を消毒液を含んだワタで ぽんぽんと軽く叩く。 ピンセットで挟んで、微妙な力加減で、ぽんぽんと、とても優しく。 「英二の顔が見たかったし、それに・・・」 ぎゅっと、ピンセットを持ったままの英二を抱きしめる。 「ごめんって、こうして言いたかった」 「俺も」 英二は俺の背中に腕をまわす。 「俺も、ごめんね、大石!大石、好き、大好き!」 「いってーえ!」 そうして、英二が握ったままのピンセットが、俺の背中に突き刺さったんである。 ←back to top |