裏庭 (mvt.31-)


それでも、僕は習慣に後押しされるように、その裏庭の壊れた木戸に手をかけ、
乗り越えた。

濡れたズボンはあまりに重く、木戸にかけられて僕の体重を支える手は
あまりに滑った。


危うくバランスを失いそうになりながらも、彼女の家の敷地に足を踏み入れた僕は、
戸惑う暇も、逡巡する間もなく、彼女の姿をそこに発見した。

僕は思わず駆け寄った。
着地の勢いのままに、ずるずると滑る地面を蹴って彼女に駆け寄った。
そして足元に跪いた。

「どうして中に入らなかったの」

彼女の黒髪は雨にすっかり濡れ、その先から雨水がしたたっていた。
僕は彼女の手を取った。

それら細くて白い手は、ひんやりと滑った。
失われそうな感覚に、僕はその手をぎゅっと握った。
「僕を待っていたの」

言いながらも、そうではないことを僕は知っていた。


彼女は降り注ぐ水滴をよけようともしていなかった。
額に流れを作る雨を拭おうともしていなかった。
彼女はただそこにいただけだ。

そこにいることを拒絶せず、そこに降りしきる雨を拒絶せず、
そのまま無抵抗に立ち尽くしていただけのことなのだ。

それが僕には悲しかった。



果たして彼女は僕が訪れるのを心待ちにしていただろうか。

そうではなかっただろう。

ただ彼女は受け入れていた。


雨が降ったり、風が強く吹いたり、真夏の日差しが照りつけたり、
そうした事象をあるがままに我々が受け入れているように、
彼女は僕の来訪をただ受け入れていたに過ぎない。

彼女は僕を見て微笑むけれども、僕が彼女の元を立ち去る時に、
次があると期待することもなく、次の機会を楽しみにしている
わけでもなかった。


ただ、彼女は受け入れていたのだ。



当時の僕は愚かで、見たくないものを見ようとはしなかったので、
そうした彼女の振る舞いに多少苛つきを覚えながらも、しかし彼女が僕を
「期待していない」という事実には目を向けまいとした。


今こうして振り返って、彼女が僕に「期待していなかった」ことを認識するとき、
僕はかつてよりも賢しいわけではなく、ただ、今はもう僕自身が彼女を
期待しえない、という事実の前に屈しているに過ぎない。


仮に僕が未だに彼女のもとを訪れているとするならば、僕はやはり彼女が
「期待していない」ことから目を背けるだろう。


僕たちは絶対的な賢さや、絶対的な愚かさを持たない。


それは既存の事実によってどうにでもなるものだと。
それが今では少し分かるようになった。

分かるようになったからといって、僕が賢くなったわけではない。


僕はいつでも同じ過ちを犯すだろう。



彼女は、跪く僕を睥睨して、かすかに微笑んだように見えた。
それすら、僕の妄想だったのかも知れない。
僕がそうして欲しいと思っただけなのかも知れない。

僕は彼女を愛していた。

それを愛と呼ぶか否か、それ自体、勝手に議論して頂いて結構だ。
しかし僕は誰が否定しようが、断固として主張したい。

それは、確かに愛だったと。



「とても冷たい」
僕はその手をぎゅっと握ったけれど、自分自身、ずぶ濡れで手も冷え切っていて、
全く空しい行為であることは明白だった。
とりあえず雨の当たらないところ、縁側に彼女の手を取り、連れて行った。
彼女はただ諾い、僕にされるがままだった。

部活で使ったタオルはバッグの厚手の生地に守られて無事だった。
一度使っているので、決して清潔とは言えず、僕自身の汗で少し湿り気を
帯びていたのだが、それでもないよりはマシだった。
「臭かったら、ごめんね」

そのタオルで彼女の手を拭き、腕を拭き、そして一瞬ためらいながらも、
身体を服の上から押さえるように拭いた。

透けた乳房が嫌でも目に入った。

そこを押す時、必死で不感知を装いながらも、僕はその
柔らかで優しい感触に勃起した。

彼女の乳房は、同級生の硬そうなそれとは違い、年齢による弛緩を
若干見せ始めており、それが極めて優しげだった。

僕は不必要に何度も、そこをタオル越しに押した。
掌を動かすほどの度胸は僕にはなかった。
ただ、タオルごしに、その撓む感触を何度も、何度も味わった。


僕の未発達なペニスは、ズボンの中でいきり立っていた。



そうした衝動の解消法に、僕はその時分にはまだ長けていなかった。

自慰行為をしたことがなかったわけではない。
しかし僕はいつでも自分の吐きだした液体を眺め、その臭いを嗅いだ途端に
我に返り、罪悪感に苛まれていた。
液体を拭ったチリ紙をゴミ箱に捨てることすら、許されざる罪悪のように感じた。

そしてそれを為す度に、もう二度とこんな行為はするまいとすら誓った。
皮肉にも、そう強く誓った時ほど、次に性欲の高まりをおぼえるまでの期間は
短かった。


僕は、そう、自慰行為の最中に泣いたことすらある。
罪悪感と羞恥心を無視できなかった。
それでいて、上下運動を繰り返す手を止めることも出来なかった。

僕は、精液と涙を同時に零した。


自分という存在が、惨めで、浅ましく、矮小な存在であるように感じた。

僕は、意思の力だけで抗いきれない肉体からの要望との折り合いを
つけられずにいたのだ。


それを幼さと呼ぶか。
しかしそれこそは大人の軽薄なのだ。

僕は大人になった今でも、確かにそう思う。




>>to be continued

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