珍しく朝練に遅刻してきた。
あの副部長がだ。

「ごめん」
少し無理矢理に作った笑顔を俺たち、部室の前で鍵を待ってたむろしていた
俺たちに向けて、鍵を開ける。

「寝坊・・・じゃないよね?」
「うん、ちょっと。ごめんな」

誰も本当には怒っておらず、「頼みますよ、大石先輩」と笑いながら、
彼の珍しい失態すらも楽しんでいるようだった。
手塚に至っては、グラウンド何周とも言わず、
「何かあったのか。体調が悪いなら休め」とまで言う。
日頃の行いというのは、確実な財産なのだと思う。

ドタバタと着替えて、みんなコートに飛び出していく。
そんな中、大石はレギュラージャージの上着を後ろ手に広げて
億劫そうに身体を捩る。
なかなかジャージの肩を抜けない彼の背後から、それを助ける。
「ありがとう、英二」
「うん」

何かあったのか、と訊きたかったけれど、それは不適切な気がした。
俺は色んなごちゃっとした気持ちを自分から振り切ろうと、
彼の背中をぽん、と軽く叩く。

ベンチに置かれた彼のラケットと自分のラケットを取り上げようと屈んだ、
その俺の背中に、彼は突然抱きついた。
子供が母親にしがみつくように、とても頼りなく。
「英二」
「なあに」

彼は意外にも、唐突なのだ。




今朝、電車に乗ってドアの脇に立ってたんだ。
そっちはあまり開かないドアだから、テニスバッグを足元に下ろして、
横並びの座席に背を向けて、本を読んでた。

そしたら、背中を何回も小突くんだ、ドアの横の座席に座っていた子供が。
何度も何度も。

俺の気を引こうという意図は感じられなかった。
ただ、何か動いた拍子に腕がぽん、とぶつかっているような感じだった。

背中越しに母親らしい女性の声が聞こえて、その口調で、
きっと子供なんだろうなって思ったんだよ。
「もぞもぞしないの」
そう言ってたけど、俺の背中を何度も小突くことについては何も言ってなかった。
子供と思しき、俺の背後の席に座っていた人物は、そんなことも聞かずに
何度も何度も、俺の背中を小突くんだ。

「やめてくれないかな」
そう言おうと思ったんだ。
母親も注意をしないし、さすがの俺もイラ立ってきたし。
そして振り返って子供を見たんだよ。


子供は伸びをしてた。
腕をいっぱいに伸ばして。
でも、その腕の肘から下が、なかった。
切断したって感じじゃなかった。
元々ないんだと思う。


俺は一瞬ぐっと詰ってしまった。
言えなくなってしまったんだよ。

「やめてくれないかな」
ただそれしきのことも、言えなかったんだ。
黙って元の姿勢に戻って、また背中を小突かれ続けた。
その場を離れることすら出来なかった。
自分の降りる駅を過ぎても、何故だかそのまま立ち続けた。
その親子が降りるまで、俺はその場から離れられなかった。

何だろう、なんで言えなかったんだろうな。

平等とか公平って何だろうな。
俺は言うべきだったんだろうな。
「やめてくれないかな」って。
言うべきだったんだよな。


俺はひどいな。
ちっとも優しくないな。
優しくない男だな。




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