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「行っちゃうのか」 「ああ」 その言葉が、大石のぎりぎりの甘えであることを、俺は知っている。 行くのか、ではなく、行っちゃうのか、というそのささやかな甘え。 ささやかな懇願。 それでも彼は微笑む。 微笑みながら、俺の横顔から目を逸らす。 「元気でな。身体だけは壊すなよ」 「ああ」 『お前も』と言おうとして、やめた。 ひどく心なく響く気がして、やめた。 成田空港。 ドイツへと旅立つ俺を見送りに来た部員たちは、滅多に来ることのない空港の様々な設備に浮かれ、あちこち散っている。 俺が出国ゲートに入る10分前ほどに集合しさえすればいいだけのことだ。 それまでの間、ここで輪になって沈黙することほど馬鹿馬鹿しいことはない。 大石は俺の傍から離れようとしない。 それは彼なりの義理固さであるようにも、また、俺から離れがたいようにも取れた。 「まだ搭乗まで1時間ほどある。何か買いに行かないか」 俺がそう言うと、彼はまた微笑む。 「ああ、最後に日本で買っておきたいものでもあるなら、 俺が荷物を見ていてやるから行って来るといい」 この笑顔は、忘れた、もしくは気付かないふりをする為だ。 俺は知っている。 ひと月ほど前、二人で街に出た時のことだ。 待ち合わせのコーヒーショップで、映画でも見るか、本屋でも覗くか、と 彼は微笑み、 俺はそうではないことを求めていたけれども、 それをあからさまに口に出すことを躊躇した。 その時にも彼は優しく微笑むことで、俺の思惑になど一切気付かないふりをした。 口の端が少し優しく撓む、この微笑みを見る度に俺が何も言えなくなることを 知っている、彼の優位性の証でもある。 俺は自分の部屋に行きたかった。 ここに来る前、自室のベッドのシーツも換えたし、必要なものは枕元から 手に届くところに、わざとらしくない程度に近づけておいた。 俺は大石を抱きたかったのだ。 しかし或いは。 と、俺はもうひとつ思い出す。 「買い物にでも出かけないか」 目の前に置かれた青磁のカップの耳に指をかけようとして、そして離した。 俺の指は震えていたからだ。 カチカチとささやかな音が、瞬間、聴こえた。 「何か欲しいものでもあるのか」 大石は手元に軽く視線を落としながら微笑む。 そうして俺の手の震えにもまた、気付かないふりをして、また口元に優しい皺を寄せる。 「契約金・・・というのか、準備金を少し貰ったんだ」 「そうか、すごいな」 アマチュアに毛の生えたような俺にスポンサーがついたのだ。 テニス用品メーカーだ。 「お前に何か買いたい」 俺はなるべくさりげない風を装うと、顔を逸らしたまま言った。 「身につけていられるような何かを」 「要らないよ」 彼は俺自身が抜け殻になりそうなほどに振り絞られた勇気に対し、 彼は見返りを一切与えようとしなかった。 真剣でもなさそうな口ぶりで答える。 「どうしてだ」 「要らないよ。買って貰う謂われもない」 そうして彼は立ちあがった。 「それよりも、今日は手塚の部屋に行きたい」 俺は驚いて彼の顔を仰ぎ見た。 「抱いてくれるんだろう」 そう言う彼は最早微笑んではいなかった。 俺のさもしい心情の裏側へ回り込んで、意地悪く背中に指を這わせる ような、酷薄とも取れる顔を見せる。 そうして、ちらりと周囲に目をやってから俺の頬をかするように愛撫した。 「今日は後ろからがいい」 ポーンと空港のロビーに蔓延る軽い音を聞きながら、 俺はその時のセックスの激しさを思い出す。 後ろから、と言う大石の身体を無理矢理に仰向けにして、 半ば強姦するように中に入った。 大石は抵抗したが、何度か強く突き入れると甘い声を漏らして 枕を顔に押し当てて震えた。 顔を見たいと願っても、大石は決して枕を顔から離そうとしなかった。 あの声は、快楽によるものか、嗚咽だったのか。 未だに俺の耳から離れない、あの時の彼の声。 「お前に何か買おうと言ったのを覚えているか」 「覚えているよ。そして俺が要らないと答えたことも覚えている」 瞬間、彼が俺を憎々しげに睨んだように見えた。 「それとも、そのことだけは都合よく忘れたのか、手塚」 しかしすぐに睨んでいるのではないと気づく。 彼は今にも泣き出しそうな顔をしていたのだ。 俺は、その時になるまでに、既に気づいていた。 俺のドイツ行きについて、彼が恨みごとも、感想も述べなかったことを。 彼は泣きもせず、悲しみもせず、ただ笑った。 「そうか」 そう言って笑った。 あの腐るように熱かった夏の日に伝えてから、今この出発の3月まで、 彼は何も言わなかった。 中学を卒業してからのことを、俺たちは何も話さずにここまで来た。 彼が何も言わないのをいいことに、俺たちはそれからも変わらず、 いや、それからは部活がなくなった為もあって、より多くの逢瀬を重ねた。 何一つ先のことを言わないままに、終りがすぐそこにあると漠然と 知りながらも無視をした。 無視をすることで、終りが来なくなるようにさえ思っていた。 俺自身がドイツに行っても、俺たちはずっと結ばれているのだと。 「忘れてなどいない」 俺は大石の手首を掴む。 彼は人前であることに躊躇し、その手を振り払おうともがく。 「やめろ、手塚」 握る彼の手首に波打つ胎動を感じる。 それは脈打つ彼の血流であり、彼の慄きであり、彼の悲しみでもある。 その握る手に、更なる力を加えると、彼の固くしぼられた手の関節が白み、 痙攣するように震えた。 「離してくれ」 「駄目だ。離せばお前は・・・」 離せば? この手を離せば一体どうなるというのだ? 悪い思惑に押し黙ってしまった俺の顔から眼を逸らさず、彼は言う。 「痛い、離してくれ」 肉体の苦痛からか、或いは精神の苦痛からか、彼は口元を歪める。 しかし離せば、たちまち彼は再び、そしてまた同時に永遠に失われてしまう? 彼の生暖かい手首。 筋張っているくせに、優しいこの身体。 「手が痛いよ。鬱血してしまう」 大石は俯く。 「手が、息ができないんだ」 そうして囁く。 「俺自身もなんだよ、手塚。俺も息ができないんだ」 「さようならだ、手塚」 大石は口元だけ笑う。 歪むように、笑う。 「もうあんな風には会わない。 たまに帰国した時にはみんなで集まろう。 俺ももちろん行く。 大人になったら試合も見に行く。 俺たちはずっと友達だ。 だけど、もうあんな風に会うのはやめよう」 「あんな風に、とは」 俺は大石をここまで追い込んだことがない。 「ベッドの中で気を失うまで愛し合うだとか 息が出来なくなるまでキスをするだとか」 そうして大石は俺の目を見る。 「そういうことだ」 最早微笑んではいない。 「そういうことを、もうやめたいんだ」 「大石」 俺は彼の頬に手を当てる。 身じろぎもせず、彼は俺の手を受け止める。 俺はその視線から離れることを厭い、耳元へと寄せ掛けた口を彼の唇の すぐ前に寄せる。 しかしそれらは触れはしない。 「勃起しているか」 「ああ、している」 彼は決然と答える。 「だめだ、手塚」 後ろ手に扉を閉め、大石のジーンズのファスナーを降ろそうと手をかけると、 彼は今更のように抵抗をする。 便座の角に押し当てられた膝が曲がり、俺の膝を打つ。 「いけない、こんなことは」 抵抗に捩られた右肩がトイレの扉に当たり意図せぬほどの音を立て、彼は一層、顔を歪める。 危惧したような糞尿の匂いはしなかった。 ただ、固い匂いがした。 固い水の匂い。 それを人はトイレの匂いと言うのか。 彼の抵抗が人目を気にしている為ではないことは、次の言葉で知れた。 「もうやめたいんだ、お前とのことを」 逃げ場を失い、蓋のしまった洋式便座に力なくすとんと腰を落とし彼は項垂れ、 右手にあるトイレの扉の留め金に力なく手をかける。 しかしその手もやがては離れ、俺のシャツの胸を掴む。 押し戻すように。 しがみつくように。 「大石」 固く冷たい手を握り、俺はその指先を口に含む。 それはぴくりと口の中で跳ねた。 まるで口に含んだペニスが跳ねるように。 「いけない、手塚」 逃げようとするそれを強く握る。 「こんなことをしても悲しくなるだけだ。 寂しくなるだけだ」 伸びかけた爪と指の間に舌を差し入れる。 ぷちぷちという音を立てて、その僅かな隙間に自分の粘った唾液が 所狭しと溜まっていくのを、俺は舌の渇きで知る。 「大石、お前を愛している」 そう伝える。とても大事な言葉だ。 その為に唇を離すと、彼の円やかな指先と俺の薄情な唇、その間には艶やかに糸が引かれる。 「いけない」 その糸を絡め取ろうと伸ばされた俺の舌の先端が、何か生暖かいものに触れる。 その正体は、果たして彼の柔らかな舌先だ。 俺の舌先に絡みついた唾液の糸を奪うように円を描く。 彼の舌先は器用だ。 俺のペニスを何度も悦ばせた。 「駄目だ、俺はきっと思い出してしまう」 最後にぴんと伸ばされたその舌先は、粘る糸を断ち切る。 「成田空港に来る度に思い出してしまう」 そうして便座に腰かけたままの姿で俺の股間に顔を埋める。 勃起した股間に鼻梁を押しつけ、緩やかに首を振る。 「そして、もう行けなくなる」 彼の熱い息をジーンズ越しに感じる。 「お前と行った図書館、お前と行った喫茶店、お前と行った映画館。 もう二度と行けない」 「何故だ。どこもなくなってしまうわけじゃない」 冷たく固いトイレの匂いが鼻を刺す。 熱く柔らかい彼の吐息が俺のペニスを刺す。 「きっとお前を思い出してしまう。 そうして、お前が俺の傍にいないことも思い出す」 最早、彼は嗚咽とともに流れる涙を拭おうとすらしない。 彼の瞳から湧き出る水流は、わずかに幼さを残す平たい頬の脇を流れ、 小鼻をなぞり、そして唇へと到達する。 「泣くな」 涙を拭おうと伸ばした手を、大石は固く握る。 爪痕が残るほどに、強く。 そして顔を背け、口へと流れ込んだ涙を厭わしそうにぺっと吐き出す。 唾液と交じったそれは口から細い糸を引き、じきにその糸は切れて タイル床に落ちる。 「お前が俺の傍にいてくれない。 ただそれだけのことが、耐えられないんだ。 そんなこと、思い出したくもない。 お前のことも思い出したくない。 お前と一緒に行ったところになんか、二度と行きたくない」 俺の手を握る大石の手を握り返した。 「どこにも行くな」 空いた片手で、便器に腰掛ける彼のジーンズを下着ごと 半ば強引に引き下ろす。 しかし彼も助けるように腰を浮かせた。 「どこにも行けないなら、どこにも行くな」 膝の少し上で止める。 こうすれば、もう彼は動けない。 「ペニスを尻に感じることすら、寂しく思うなら、誰のものにもなるな」 手を放し、もどかしく自分のジーンズを下着ごとずり下ろす。 「射精することすら寂しく思うなら、誰とも寝るな」 自分のペニスを大石のアナルに当て、彼のペニスを握る。 「自分で擦ることもするな」 それは痛々しいほどに屹立している。 「お前は俺のものだ」 そして前戯もないままに、ペニスを彼の内部へと押し込む。 大石はくぐもったうめき声を上げ、それに耐える。 緩やかに腰の抽送を始める。 彼の身体はその腰の動きに合わせ、しなやかに蠕動を繰り返し始める。 俺の腰と、彼の腹筋と、彼の囁き声が同調をみせる。 「ひどい」 俺を詰る。 「ひどいよ、手塚」 しかしその声は、あまりにも甘い。 便器の上で、死にかけた虫けらのように足を震わせる大石の身体に 大きなおこりが走る。 俺は自らのペニスが締め付けられる感触に更に奥までペニスを差し入れ、 射精に備えた。 「手塚」 悲鳴にも似た声が、俺の背中に指を這わせる。 「ダメだ、手塚」 弱々しくかぶりを振りながら、大石は喘ぐ。 「手塚」 大きく彼の身体が震えて、接合した腹に生暖かいものが広がるのを感じた。 「愛している、大石」 その瞬間に、伝えた。 彼の奥底に自分を流し込む、その瞬間に。 声を発しない大石の唇は、何かを形どり動いた。 それが何であったのか、彼の虚ろな瞳からは推し量ることさえできない。 別れの言葉であったのか、 或いは批難の言葉であったのか、 或いは愛の言葉であったのか。 俺には見えなかった。 俺に見えたのは、瞳に溜まった最後の滴が彼の瞳から落ちる瞬間だけだった。 「帰って来た時くらいは連絡してよね」 軽やかに不二がぽんぽん、と俺の左腕を叩く。 俺は頷く。 「無茶すんなよ」 菊丸がにっと笑う。 俺は頷く。 「寂しくなるけど、元気でな」 河村が眉根を寄せて、しかし微笑む。 俺は頷く。 「・・・」 乾が微妙な顔をこちらに向けている。 俺も軽い肯首を伴う沈黙で返す。 大石は何事もなかったかのように微笑む。 俺は「またな」と言うけれど、彼はそれに対して、 あの曖昧な優しい笑顔を向けた。 俺がゲートをくぐる前に、彼は背中を向けて歩き出す。 その背中に菊丸が飛びかかった。 彼はそれを振り返り、鮮やかに笑った。 彼は笑う 尻の穴から俺の精液を垂れ流しながら >>Junkie-Junk >>submission top |