HENRY/3


俺は彼を愛していると思う。

優しくて大人で落ち着いた彼も
残酷で非道で人の身体も心も弄ぶ彼も

そしてまた、こうして淫らな目で俺の背中を見つめる彼も。



彼は俺の顔を見て、優しく目を細める。
そして目を伏せる。
黒くて長いまつげを笠にした彼の瞳は俺には見えない。

彼はしかし、俺の背中を嘗め回すように見つめる。
俺はそれを知っている。
彼の視線を感じて、俺は彼に見えないところで勃起する。

俺は何も言わない
彼も何も言わない

そして俺たちは互いに理解しあっている。

彼に縛られ、嬲られることを想像して勃起する俺と
俺を蹂躙し、陵辱することを想像して勃起しているであろう彼。

俺たちは最早ただ一つの終着点しか目指していなかった。

それでも、二人の夜は相変わらず静かで
二人の会話は相変わらず他愛もないもので
その核心に触れることはなかった。

むしろその核心を意識しているからこそ、あえてそれを避けた。




振り向くと、悲しそうな顔をしてこちらを見る。
「なあに」と訊いても、「何も」と微笑むだけ。
その微笑までもが悲しく、そして美しい。

うっすら口の端に浮かんだ皴が、また一層、彼を優しげに見せる。
浅くて細かい皴が産毛のように何本も重なり、それが彼の笑い皴を形成する。
その表情を形づくるパーツの繊細さが、彼に儚げな印象を与える。
そしてまた、表情の優しさとはうらはらに、怜悧な印象を与えるのも事実だ。
さながら精巧に作り上げられたガラス細工が、人の手を無言の内に拒むように、
彼もまた人からの干渉を拒絶しているようだ。
悲しそうな表情を浮かべながらも、見ようによっては見下しているようにも思える。


「どうしたの」
鍋のかかっているガスコンロのスイッチをカチリと回して火を止める。
ダイニングキッチンの、彼と俺とを隔てつつ結びつけている、
そのカウンターを回りこんでダイニングにいる彼に近づく。

「何もないよ」
同じ答えを繰り返しながら、彼はまた笑う。
組んでいた足を下ろして、椅子を少し引いて、身体を斜めに向ける。

俺は右手で頬に浮かんだ細かい皴を指で撫でながら左手を大石の首に回し、
下ろされた彼の両の膝をまたいで、その上に座る。
股間が触れ合わないように、ギリギリのとこに。

「何かついてたか」
「ここに皴できるの、自分で知らない?」
「皴?」
「笑うと、うっすら」
「それは年寄りみたいでイヤだな」

身長の違いは大きくないので、こうして大石の膝の上にまたがって座ると、
彼の頭は俺の鎖骨のあたりにくる。
「優しそうでいいよ」
「そうか?」

近づくと分かるけれど、彼は笑うと下瞼にもうっすらと皴が出来る。
くっきりではなく、こちらも、更にうっすらと細く。

涙を拭くように、そこを親指で撫でる。
「ここも」
「そんなところにも出来るのか」
「鏡の前で笑ってみたりしない?」
「しないよ」

大石は腰にまわした手の片方を挙げて、自分の顔をちょっと触ってみる。
「自分じゃ見えないからな」
「俺が教えてあげるよ」
「英二の背中のほくろを俺が教えたみたいに?」


この姿勢の難点は、顔を隠せないという点だ。
顔が赤らむのを隠そうと俯いても、下にいる彼には丸見えだし、
上を向くのはあまりにわざとらしい。
精一杯の努力で平静を保とうとするが、失敗に終わっていることを、耳の熱さで感じる。

意地の悪いことに、彼はそのほくろの位置を、背後にまわした手で撫でる。
大きく摩るように、次第にその範囲は狭まり、そしてそこを指で押す。

小さく声が漏れるのを俺は抑えられない。


初めて大石がその背中のほくろを教えてくれて以来、
彼はそこを執拗に愛撫するようになった。
俺を四つんばいにさせて、上から圧しかかり、何度も口をつけ、嘗め回す。
次第に、そこは俺の性感帯の一つになった。
彼はそれをよく知っている。

彼の長くて細い指が、その一点をを押しつつ、周囲を愛撫する。
大石は、もう背中を見なくてもその位置を知ることが出来る。

「や・・・おおいし・・・」
息があがる。
彼を俯瞰すると、瞼を閉じ、俺の胸に顔を擦り付けている。

まっすぐの鼻筋がとても綺麗だ。
『俺は鼻が長くて馬面だから嫌だ。英二みたいに、ちょっと上を向いた可愛い鼻がいい』と
彼は常々言うけれど、このまっすぐで長い鼻がいつでも彼を知的で上品に見せていることを
彼は知っている。

彼が俺の胸に顔を埋めてその鼻の先が少し折れるのを見る時、俺はいつでも興奮する。
極めて整然としているものを乱してみたいのは、いつでも、誰もが抱く欲望だろう。


彼はそっと、俺の腰を支えていたもう片方の手を離す。
俺が崩れ落ちてしまわないことを確認しながら、ゆっくり。

大石はその手で俺のシャツの胸元を開けていく。
反対の手で背中を撫でさすることを忘れず。

3番目の胸ボタンを外したところで、こらえきれないような仕草で、
骨の埋まっている地面を犬が鼻で掘り返すように、その綺麗な鼻を埋める。

「英二、可愛い」
ふんふんと、それこそ犬のように俺の匂いを嗅ぎながら、更に胸のボタンを外していく。

「好きだよ、英二」
彼の声がかすれた瞬間、俺は彼の膝から飛び降りた。

対象を失った両の腕を、呆然と宙に彷徨わせたまま、大石は驚いた顔で俺を見る。
「英二?」

俺は無理矢理に笑って見せる。
「だめだよ、大石」
そして彼に背を向けて、カウンターをまわってキッチンへと戻る。
「夕食が遅くなっちゃうでしょ」



俺をいとおしむ彼の態度は、やはり以前のままだった。
いつでも俺を掌中の玉のように慈しみ、愛し、守り、そうして決して彼自身の欲望を見せない。
そんな彼に俺は失望した。

俺の求めているのは、もっと汚い彼。
乱れた彼。
自分の欲望のままに俺を傷つける彼。

前のままの彼に抱かれないことは、俺にとって最後の砦と言ってもよかった。
たとえ、彼の愛撫で勃起しようとも。

それを彼に気取られてはいけない。
あと少しのところで、膨張した俺の股間は彼に触れてしまうところだったのだから。



息を落ち着ける深呼吸の音を隠す為に、カランを捻る。
シャワー状になった水がアルミに跳ね返る騒々しさに紛れて、俺は大きく息をついた。

「今日の夕食はポトフだよ。大石好きでしょ」

何もなかったような声を出せ。
何もなかったような顔をしろ。
股間の膨らみを隠せ。

だけれど、俺は大石の方を振り返ることが出来ない。
もう少し時間が必要だった。

先ほど止めたガスコンロにまた火を入れる。
鍋はすっかり冷えてしまい、沸騰には程遠い状態になっていた。

俺はそれをじっと見詰めながら、そこに佇んだ。
まだ大石の方を振り返ることが出来ない。



ふっと後ろから手が伸びて、ガスレンジのスイッチがパチン、と切られた。

「向こうに行かないか」
大石がいつの間にか俺の背後に立っていた。

抱きすくめられて、俺は震えた。
股間はまだ萎みきってはいない。

「英二、抱きたい」

久々のことだ。
あのロープを買ってきてからというもの、俺たちの間に肉体的な交渉は一切なかった。

「後で」
俺はとにかくこの場を凌ごうと、でたらめを言った。
自分のペニスが早く萎えてくれることだけを祈りながら。

「今すぐ」
彼は譲らない。
後ろから抱きしめられ、俺の耳に大石の息がかかる。
その生暖かさに、また俺の股間は緩やかに膨張を始める。

「どうして・・・」
「今、出来そうだから」



何度となく聴いた言葉だ。
「今、出来そうだから」
そうして、結局言うのだ。
「ごめん」


もう沢山だ

俺の中で、ただでさえ薄く細いビニールでしかなかった糸がパン、と音を立てて切れた。



「イヤだよ!!」
振り向きざまに、大石の身体を力いっぱい突き飛ばした。
彼は後ろによろけたが、転びはしなかった。
しかし、転倒よりも大きな痛手を精神に被った、その苦悩の印が眉間に刻まれている。

俺はその顔を見て、更に苛々感を募らせ、カウンターを指差した。
「セックスしたいんなら、あれ使ってよ」

そこには、あの淫猥で下品な色の紐が横たえられている。
彼は俺の指の示す方角を見ない。
しかし彼はそこに何があるか、俺が何を言いたいのか知っている。

綺麗な顔が、くしゃっと歪んだ。
彼は窮地に追い込まれながらも、弱々しい声で応えた。
「そんなの使わなくても出来る」

「嘘」
こんな風に俺に責められながらも、それでも俺を求める彼に余計に腹が立った。
『だったらいい』とか『そんなことを言うなら別れよう』と言えばいいのに。
何故彼はこんなに俺に対して謙るのか。
俺の狂ったような暴言に対して、何故譲歩するのか。

それは彼が普通のセックスでは勃起できないからだ。
そして彼がそれを負い目に感じているからだ。

何よりも、彼が俺を愛しているからだ。
彼は俺を愛しているがゆえに、俺とはセックスが出来ない。


そのことが、俺の憤怒に拍車をかける。
彼に対してそれをぶつけるのは間違っていると分かりながらも、
俺はそう分かっているがゆえに、彼を傷つけずにはおれない。

「どうせまた、いつもみたい出来ないくせに」
俺は彼を睨みつけた。

「そんな目で俺を見るな、英二」
大石は黒目がちの大きな瞳で俺をおどおどと見る。
その瞳は、打たれすぎて服従しか成すことが出来なくなった飼い犬のようだった。

俺はつかつかと大石のもとに近づき、その股間を目一杯握った。
大石は一瞬、痛みに顔を歪めたが、それを耐えた。

大石の股間は、全く手ごたえがなかった。
「ほら、全然ダメじゃない」
汚いものを触ってしまったかのように、俺はぱっと手を離した。
「勃つわけないんだから、大石は」

「英二、お願いだから・・・きっと今日は出来るから」
大石の身体は崩れ落ちそうだった。
「ベッドに一緒に行ってくれ、お願いだ」
それでいて、悲痛な懇願を繰り返す。
「頼む、英二。お前が抱きたい」


その姿に、大石がこんなに惨めな思いをしながら、俺に懇願する本当の理由を俺は知った。
俺の孤閨を慰めようとしか、彼は考えていないのだ。
ずっとセックスをしていなくて、今しがた背中を愛撫され、身体が火照ってしまった俺を、
彼は恥辱にまみれながらも満足させようとしているのだ。

彼自身が勃起しまいが、射精できなかろうが、彼にとってはそれは問題ではない。
彼は俺の肉欲の為だけに、これほどまでに懇願している。

きっと今までもそうだった。
彼は自分の性癖に気づいてからは、俺で勃起できると思ったことなどないのだろう。

それでも、俺が肉欲を感じているタイミングを知り、俺をベッドに誘った。
自分の為ではない。俺の為だ。

機能不全が男にとってどれほど不名誉なことであるか。
それは男の俺には理解できる。
それを露呈する機会を、わざわざ彼は今までに何度となく作ってきた。
俺を満足させる目的だけでだ。



彼の気持ちを察すれば察するほど、俺はやり場のない憤怒に呑みこまれて行く。
自分の浅はかさにも、彼の自己犠牲の精神にも、そして、それでも別れられない
俺たちの弱さにも、何もかもに怒りをたぎらせた。
その憤怒の矛先はというと、目下のところ、彼しかないではないか。


「縛りたいんでしょ?」

つかつかとカウンターのところに行き、ピンク色のロープを手にして、彼の方へ突き出す。
彼はそれから目を逸らした。
見た途端に石にでもなってしまうかのように。

「ねえ」
手にしたものを彼の視界に入れようと、俺はそのまま彼に歩み寄る。
対する彼は後ずさる。
「ダメだ、英二」

「好きなくせに」
ロープを握った手で、彼の胸を小突いた。

「許してくれ、頼むから」
「最近風俗にも行ってないんでしょ」
「もうやめるんだ」

かろうじて、彼はその決意の表れからか、少しだけ顔を上げて俺を見る。
しかし、俺がそれを弾き返すように彼を直視すると、また目を横に逸らせた。

「あんなこととはもうやめて、普通に生きるんだ」
「あんなことでもないと勃起できないくせに」

彼は傷ついた顔をした。
「やめろ、英二」
「だってそうじゃない」

俺は加虐的な悦びに震えた。
こうして彼を言葉で嬲ることに、言いようのない快感を覚えた。

「縛ったり、叩いたりしないと満足できないんでしょ。
縄が肉に食い込むのを見たり、
鞭で打たれて悲鳴をあげるのを聞いたり、
そういうことがないと興奮できないんでしょ」

「やめてくれ!」
悲痛な叫び声を上げて、大石は耳を両手で塞いで蹲ってしまった。
顔から血の気が引き、こめかみに青筋が立つ。
瞬きをすることを忘れたように、目をかっと見開いて足元を凝視している。

それでも俺は追撃の手を緩めない。
緩めることが出来ない。
俺は最早後に退くだけの手段も分別も持たないのだ。

「やめるなんて言ってもやめられないよ、大石は。
だって大石は根っからの変態なんだから。
その病気は治らない。
大石はずっとそのままで、
普通のセックスじゃ満足できないんだ。
普通のセックスなんてもう出来ないんだ」

「やめてくれ、英二」
か細い声を絞り出すように呟く。
身体を丸めて膝をつき、最早彼は地につっぷしていた。

耳を塞いでいた手は、いまや己の両の耳殻を引きちぎらんばかりに掴んで震えている。
「そんな風に言わないでくれ、英二」

大石の前にまわりこみ、そこにしゃがみこむ。
丸まった彼の身体の股間に手を伸ばすと、彼はびくっと震えた。


「勃起してるじゃない、大石」


声が震えるのを隠そうと注意しながら俺はゆっくりと言う。
実際、くらくらと眩暈がした。
大石が俺の前で、これほどまでにペニスを固くしてみせるのは何年かぶりだからだ。

「変態」
蔑むように言って、ペニスを握る手に力を込める。
強く握ると、それは強度を増した。

「大石、マゾっ気もあるんじゃないの?こんなに固くして」
「やめてくれ」
「普通じゃ勃起できないくせに、苛められてこんなに固くしてるじゃない」
「英二、やめてくれ」

そう言いながらも、彼の足からは力が抜け始めた。
ぎゅっと閉じていた股を半開きにして、俺の手を受け入れているようだった。
俺は彼のペニスにパンツごしに触れている手のひらに全神経を集中させながらも、
口で彼を嬲ることを忘れない。

「恥ずかしい男だよね、大石?」
「ちがう・・・」

彼の綺麗に揃った歯の隙間から声が漏れる。
それは今や軋みつつ、食いしばられていた。

「ちが・・・う、ちがう、俺は・・・」

ペニスを嬲られる快楽と、精神の苦悩の狭間で彼の発する唸り声。
獣と人間との間を行き来する。

「英二・・・」 額に浮かんだ青筋が、ズボンの下で怒張しているペニスを思わせる。
彼の最も知的で理性的な身体の部位こそが、最も粗野で淫猥な部位を示唆する、
その意図せぬあざとさに、俺はペニスを貪る自分の手に力を入れた。



彼のペニスがびくんと跳ね上がった瞬間、彼は青ざめた顔を上げた。

「英二、お前は何も分かってない!」
突然、大石は俺の手を振り払って叫んだ。

彼がこのまま射精することを予想していた俺は、この状況の変化に戸惑いを隠せない。

「お前は何も知らないんだ」
先ほどのしわがれた声とはうって代わり、彼の声は天からの啓示のように力強く響く。

「俺の欲望がどれだけ汚いか、お前は知らない」

きっと上げた彼の顔の美しさ。

何と奇妙なことか。
自分が汚いと語る彼の顔がこれほど美しいとは。
俺の胸は状況を省みず、感動に震えた。

そして、その震えは更なる共鳴を求める。
「・・・見せてよ、大石」
胸の震えは、そのまま声へと伝わる。

「来い」
大石は、今までに俺が聞いたこともないような乱暴な物言いをした。
俺の手を取り、ベッドルームの方に引っ張る。

「何するの、セックスはしないって言ってるでしょ」
「いいから来い」
ぐっと引っ張られて、俺は負けた。
所詮、本気を出せば彼の方が身体も大きいし、力も強いのだ。
いつも彼はそれをしないだけだ。

俺の股間もまた、したたかに震えた。
これから我が身に起こることに対する期待と恐怖に。
それは両極を成すようで、ただ一つのことを指している。






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