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山猫の森/3
「夜明けと共に山猫が来るぞ!」 旅人は村に帰ると、叫んで走り回った 「戦になるぞ!準備をしろ!」 村は怯えていた 森から聞こえてくる山猫たちの怒号と、そこから漏れてくる殺気と緊張感に震えていた 旅人が叫んで村を一回りしただけで、村人たちは全員起きて家の外に出てきた 誰もろくに眠っていなかった様子だった 夜明けは近い 村の奥から鉄砲や剣が取り出され、女子供にも配られた 村人たちは手に手に武器を携え、長老を取り囲んで指示を待つ 「女子供は護身用の武器を持って、家の中に残れ 男は二手に別れる 村の手前で山猫の襲来を食い止めるもの、それから森に火を放つもの 山猫たちが森を出るのを待ち、風上から火を放て」 村人たちは迅速に行動した 地平線から太陽が殆ど顔を出しそうになった頃には 二手に分かれた村の男たちはそれぞれの配置についた 旅人は長老と共にその家に残り、その高いところから様子を見るように言われた しかし誰もが期待していた 彼の百人斬ったというその剣の腕に 死に神と呼ばれるその腕に 村人たちは村からそう離れていないところで山猫たちの襲来を待ち受けた 限られた武器と人数ではそうするより他なかった 山猫たちの群れは、一塊となって森から津波のように襲ってきた 大群となった森の山猫たちは村人の予想をはるかに凌駕する頭数だった 走る音が地鳴りのように響き、村人たちの足元を揺るがす 村人たちは緊張に高鳴る己の心音と足元から響く振動とが呼応するのを 痺れる脳髄の奥で聞いた 死への恐怖 しかしそれは動物にとって最大の鎧に他ならない 怯えきった村人の一人がライフル銃を鳴らし、 それが決戦の火蓋を切って落とす合図となった 奇しくも、それは太陽が山陰からその最初の閃光をひらめかせた時 夜明けと共に、そこは戦場と化した 旅人は村の高いところからその様子を眺めていた 彼の視力は悪くなかったものの、戦場における個々の様子を見分けることは出来なかった 彼の黒い瞳は、あの赤毛の山猫を探しつつ、 また一方で戦況を冷酷なまでに分析してくるくると動いた 数の多さで圧倒する山猫の一群 銃などの現代兵器で応戦する村人の一群 戦況は拮抗していると言ってよかった 肉体のみで戦う山猫の体力尽きるか 兵器に頼っている村人の弾薬が尽きるか どちらが先に訪れるかが勝敗を分けると旅人は考えた 冷酷なまでに客観的に判断するそのくせに、 彼は歯を食いしばり、拳を握った 赤毛は生きているだろうか 赤毛は闘っているのだろうか 子供のような顔をして自分を見上げて 喉をころころ言わせていたあの山猫が 戦場を見渡したその視界の先に、森が燃えていた 舐めるように炎が森を覆い尽くしていき、 時折何かが爆ぜる音が村にまで響く 帰る場所を失った山猫たちは、いよいよ死に物狂いとなった 村人たちはそれに圧倒され、押され始めたようだった 戦いの一群の中から、数人の村人が飛び出したのが見え、 旅人は自分の剣を思った ほどなく、旅人のもとにさきほど戦線から抜け出した村人が現れた 「恐ろしくすばしっこいのが一匹いる」 息を切らせて走ってきた村人も、身体が傷だらけになっていた 「おまけに頭もいい 何人もやられてる、助けてくれ」 旅人は囁くように訊ねた 「赤毛の山猫か」 「そうだが・・・あんた・・・?」 「俺の剣を返して貰おう」 そうして奥から出された剣を手にして、旅人は歩き始めた 鞘から剣を抜き、その鞘を投げ捨てた 無数の山猫と村人の身体が横たわる中、 山猫と村人の生き残りが死闘を繰り広げてる中、 そこに赤毛の山猫はいた その赤毛は、返り血を浴びて更に赤みを増していた 森を焼く焔が白い雪面を照らし、それが跳ね返り 燃えるような赤毛にちらちらと這い回っていた その姿は神々しいほどに美しかった 旅人は吸い寄せられるように、剣を片手に近寄っていった 「やっぱり来たんだね」 山猫は旅人に声をかけた 非情なようで、その声の奥には優しさと悲しさが響いた 「ああ」 答える旅人の声も低く唸るようで、 しかしその奥には慈しみとやり場のない怒りが響いた 「こうなると思ってた」 「そうだな」 「手は痺れてない」 「ああ、大丈夫だ」 「じゃあ全力でやれるね」 「ああ」 旅人の黒い瞳は一瞬伏せられたが、 次に山猫に向けられた時には、そこには一筋の迷いも見られなかった 旅人は不思議な剣の構えをした 剣を後ろに、反対の手を山猫の額に向けて、ぴたりと構えた 凛と胸を張ったその姿は、一部の隙もない 挑発するかのように顎を上に向け、 旅人は冷たい額を凍えた空気に吹かれながら 山猫を見下すような視線を向ける 「お前は俺に勝てない」 「どうかな」 山猫は後ろ足でざっくり雪を掻き、そして背を怒らせて 旅人をにらみつけた その視線は、互いの視線を遮る旅人の構えた手を通り越して 旅人に刺さるように向けられている 山猫はいまや背にして戦うものを得た 普通の茶色い毛の奴は枯れ草を 黒い毛色の奴は暗闇を 金色の毛色の奴は太陽を そして、赤毛はいまや炎を味方につけて背を怒らせていた この瞬間を迎えるために、この赤毛に生まれたのだと、旅人は気づいた 旅人に与えられた機会はたった1回 飛びかかる山猫の鋭い爪が届く前に一撃でしとめること 山猫に与えられた機会もたった1回 振り抜かれた旅人の剣をかわして喉に喰らいつくこと 旅人の剣が焔を映してひらめいたその瞬間を山猫は見逃さなかった 優れた剣士が剣を振りぬく間合いをはかり、旅人の喉をめがけて飛びかかった しかし山猫を誘い出した旅人の剣は、振り抜かれることはなかった 王家の紋章を戴いた剣はゆらりと踊った後、彼の胸元から生えたように、 飛びかかる獣に切先を向けた 勝敗は決した 旅人の剣は山猫の胸を深々と貫いた 山猫は地面に墜落した まだ息があった その息はひゅうひゅうと洞穴に吹き込む風のように鳴った 旅人は剣を落とし、山猫に駆け寄り跪く 肺にまで届いたらしい傷口を両手で押さえて涙を流した 山猫の身体から聞こえるゴボゴボという音が大きくなるのを 首を横に何度も振りながら、旅人は山猫の傷口に手を押し付け、 流れ出る濁流を押しとどめようと泣いた 「楽にしてよ、お前の手で」 山猫はかすれた息でひそひそと言う 「できないよ、俺には出来ない」 「苦しいよ、お願いだから」 旅人の手はこわばりを見せ始めていた 右手の痺れがどんどん強くなり、両手に及んできているのが分かった それでも彼は、取り落とした剣を両手で掴み、山猫の心臓に突き刺した 山猫は一瞬震えて、そして動かなくなった 旅人はその間、一瞬たりとも山猫の顔から目を逸らさなかった それが彼の出来る唯一のことであるかのように 瞬きひとつせず、その瞬間を見届けた 「終わったな」 旅人は山猫のぐったりとした顔を掌で撫でる 山猫の口は半開きになり、そこから真っ赤な下が地面に這うようにこぼれ出ていた 旅人はその舌に口付ける 旅人は山猫の身体を抱き上げようとして、 彼は自分の手がまったく動かないことに気づいた 「ああ、動かないよ」 旅人は微笑んで、山猫の頬をそのこわばった手で撫でた 「動かないよ おまじないがとけちゃったよ なぁ」 もう二度とこの手は動かないだろう 旅人はそう思った 何ももう感じなかった 風の向きが変わって、森を焼く焔が顔にかかっても 握れないよ もう握れない 綺麗な手をしてるよ きっとこの手は 何か特別なことをする手だ そんな気がするな 動くようにおまじないをかけてあげるよ 「お前の魔法、とけちゃったよ」 もういいんだ、動かなくても 動かなければ何も握らなくていい たとえば剣の柄なんか もう握らなくてもいいんだ 大丈夫だよ、きっと動く 俺が動くまでこうしてるから 大丈夫だよ 俺のおまじないはきくんだから 「動かないよ、もう」 ぐったりした山猫の身体を持ち上げて胸に抱きかかえる そうして旅人は燃え盛る森の方へと歩き出した 「おい!あんた!どこへ行くんだ!」 村人が剣を振り回しながら、旅人の後姿に向かって叫ぶ しかし、旅人は二度と振り向くことはなかった 帰ろう 帰ろう 俺たちの森へ 一番の戦い手を失ったことで、山猫たちの敗北は決した 村人たちは勢いづき、そして森に火を放って戻ってきた一群も到着した それから最後の山猫が倒れるまで、そう長い時間はかからなかった 人間は勝ったのだ ちっぽけな村の、しかしその存亡をかけた戦いに 人類は勝利したのだ 累々と積み重なる山猫の身体 森の中で焔に包まれ煙にまかれ黒こげとなった数々の動物たちの身体 その上に、人類はまた小さな旗印を掲げたのだ その晩、森を焼き払ったその炎の熱で、春先の山は一気になだれをうって小さな村を襲った 防波堤になるべき森は、もうそこにはなかった 戦いで生き残ったものたちは、未来を夢見て安らかに眠っていた その夢も、まるごと山は呑み込み そうして 誰もいなくなった ←back to "Yamaneko/2" ←back to top |