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THESE DAYS/1
あの頃を卒業してから随分経つ。 あの頃というのは、無防備で無責任で、それでいて猫のように警戒して怯えて、 自分の権利や自分の欲望を勢いよく主張していた頃のこと。 俺にとって、「あの頃」はいつでも中学から高校にかけての時期を指す。 テニスと勉強だけしていれば誰も文句はないだろうと勝手に思い込んでいた時期。 勉強はさせられるものだと思い込んでいたあの頃。 大人になればきっと色々な物事が自由になるのだと思い込んでいた頃。 もっと時間が欲しい。 もっとお金が欲しい。 もっと自由が欲しいと喚いてばかりいたあの頃。 大人になれば解決するのかと思っていた頃。 大人になるしか最早手段の残されていない今の俺にとっては、まったく身勝手で 気楽な幻想を抱いていたものだと、あの頃の自分が呪わしく、また疎ましく思える。 俺は中学を卒業して、高校を卒業して、大学を卒業した。 そして今は社会人の下っ端として毎日を何となく過ごしている。 永遠に卒業式の来ない感覚。 すべてリセットのきかないルーティーンと化した日々。 そして、俺たちにはもう大人になることしか道は残されていない。 大人になりきれていない俺。 だけれどこの先の自分と言えば、大人になることしか思い浮かばない。 あの頃が懐かしいと思う。 卒業してから会う人間と会わない人間は、必ずしも学内でつるんでいたか いなかったかとは一致しないものだ。 これは不思議なことだが、事実そうなのだ。 俺は最も信頼しあっていたパートナーと、卒業してから殆ど会っていない。 俺のパートナーは大石秀一郎という男で、中学高校と、ずっとテニスのダブルスで ペアを組んでいた。 全国までも一緒に行ったし、俺たちは最高のペアだと思っていた。 大石とは大学が離れて以来、殆ど顔を見せあうことはなくなった。 家族の多い俺は早々に大学入学と同時に家を出たけれど、彼は自宅から通っていたし、 互いの家もそう離れてはいなかったので会おうと努力さえすれば会えたはずなのだが、 それを俺たちはしなかった。 たまに顔を見せる彼は、「あの頃」とは早々に決別したかのように見えた。 俺と顔を合わせても、特別嬉しそうでもなく、疎ましそうでもなかった。 それが俺を彼から遠ざけたのかも知れない。 愛するにしても憎むにしても、俺は彼の特別でありたかった。 それが、他の誰とでも同じように扱われることに、耐えられなかった。 誰かが結婚するだとか、誰かが転勤するだとか、そういう特別な折にたまに催される 同窓会などには彼は顔を出した。 その時にも、彼は俺の顔を見て、「元気にしてるか?」と微笑んだ。 前と変わらぬ優しい笑顔でそう訊ねた。 そして、誰としても同じ会話になるであろう話題を選んで俺と話した。 「最近どう?」だとか「それにしても毎日寒いよな」とか、まぁそういうことだ。 そして、彼はいつも次の約束をせずに帰った。 「今度、バーベキュー大会やろうぜ」とか 「今度母校のテニスコートで久しぶりにテニスやろうぜ」とか、 そういう声が上がっても、彼はにこにこ微笑むだけで発言をしなかった。 参加、不参加の明言をしないことは、不参加の意思を表明していることになる。 そういうことは彼にもわかっていたはずだ。 そして、その暗黙の了解は、少しは大人になりつつあった俺たちにも通じた。 彼は距離を置きたがっていたわけではないのだろうと思う。 ただ、離れてしまった距離を縮める努力をしなかっただけだ。 俺は会社帰りに、何となく不二や桃と個人的に飲むことがあった。 これは別に進んでそうしていたわけでもなく、単純に3人とも会社が近いというだけの話だ。 そして、案外俺たちは3人とも寂しがっていたのかもしれない。 「あの頃」を愛している人間ほど、その頃の友人をいつまでも引きずり、 思い出に埋没する機会を設ける。 俺たち3人は、3人ともテニスを辞めてしまっていた。 天才・不二周助は、何故か分からない。 彼は大学卒業と同時にテニスをスッパリ辞めてしまった。 俺や桃は、単純に見切りをつけたに過ぎないが、不二は何故辞めてしまったのか、 いまだもって分からない。 ともあれ、彼はテニスラケットを置き、ネクタイをしめることに決めたと、 あっさりサラリーマンになってしまった。 その日も、俺たちは何となく会社のメールで連絡を取り合い、 ちょっと小洒落たバーで酒をチビチビ飲んでいた。 「聞いた?大石の噂」 不二が面白そうにグラスを傾けて切り出した。 その名前を聞くと、胸がドキリとするのは昔からだ。 「何かあったの」 こともなげに言おうとした。 「ああ、大石先輩、会社辞めたらしいじゃないですか」 横に座っている桃城が乗り出す。 「そうそう」 不二は一口、グラスの中のブランデーを舐める。 そういう仕草がとてもその時は憎らしく思えた。 苛立った俺は、桃よりも大きく乗り出した。 「辞めてどうするのさ。脱サラ?」 「そうじゃないみたいだけどね」 そしてまた一口。 彼の独特の間の取り方だ。 「辞めたというよりは辞めなきゃいけなくなったみたい」 「どういうこと」 「ねぇ、英二は大石が少し変かなって思ったことなかった?」 「変って?」 「中学も高校も、ずっとダブルス組んでたし仲良かったじゃない」 「そうだけど」 「迫られたりしたことないの?」 俺は心臓が跳ね上がって、喉の奥を圧迫するのを感じた。 「な、なんだよ、それ」 「大石ってさ、ゲイだったんだってさ」 俺たちは息を呑んだ。 恐らく桃と俺とは全く違う理由だっただろうけれど、とにかくも。 不二はそんな俺たちを面白そうに眺めた。 「どういう経緯か知らないけど、それがバレたんだって。 会社で噂になっちゃって、彼もそれを否定しなかったし。 それで居にくくなったんじゃないの、辞めたらしいよ」 俺たちはしばらく押し黙っていた。 気まずい空気が流れ、不二はそれすらも楽しんでいるかのように口元に微笑を漂えてグラスを傾けた。 俺もただ、ビールの気泡が上り立つピルスナーを両手で持ち、時折傾けた。 桃は沈黙に耐え切れなくなったのか、口を開く。 「大石先輩、せっかく大きな会社に入ったのに」 呆れるほどに場違いなようで、呆れるほどにその場に適切な言葉だったように思う。 「ホントにね。でも大きな会社だから余計に居にくかったんじゃない」 俺たちはその雰囲気を払拭できないままに、店を後にした。 その晩、大石の白い肌が瞼の裏に浮かんだ テニスに明け暮れていたあの頃、彼の肌は日焼けしていたけれど、服を脱ぐと実に色白で、 向こう側が見えてしまうのではないかと思うほどに白かった。 そして彼の肌はきめが細かかった。 思春期にありがちなニキビなども、彼には無縁だった。 彼の二の腕が俺の身体に回された時など、彼の白くて艶やかな肌は、 汁気たっぷりに俺の身体に吸い付くように這わされていた。 俺は大石の身体の感触を夢に見て、夢精した。 股間の冷たさに驚いて起き上がると、俺の両手はスウェットのズボンもパンツも 引き摺り下ろして、股間にあった。 自分で揉んでいたことに嫌悪を感じながら、 俺は一人ぼっちの部屋を薄明かりの中で見渡した。 |