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THESE DAYS / 2
次の休日に、大石の実家に足を向けた。 「あの頃」から一度もなかったことだ。 何を話そうと思ったわけでもない。 何か用事があったわけでもない。 俺は「あの頃」を取り戻そうとしているのか、それとも「あの頃」と完全に決別しようと しているのか、自分でも判然としないままに歩を進めた。 玄関の呼び鈴を鳴らして、インターフォンごしに彼の母親に自分の名を告げると、 しばらくして彼自身が玄関から顔を覗かせた。 「久しぶり」 「ああ、英二。元気にしてたか」 相変わらずの白い肌。 相変わらずの優しげで柔和な顔。 「うん、大石は?」 「元気だよ。どうしたんだ、急に?」 「なんとなく、顔を見たくなって」 大石は不思議そうな顔をして、首を少し傾けて、そして微笑む。 「嘘が相変わらずヘタクソだな?英二」 その微笑みは、かつて「あの頃」に大石が俺に見せていた微笑みだった。 初秋の冷たい風が俺の首筋を撫でていき、俺はそれなのにセミの鳴き声を耳にした。 気が狂うほど暑い日に、部室で大石を抱いたことを思い出した。 「あがっていくか?散らかってるけど」 「いいの」 「汚いから覚悟しろよ」 大石は俺を二階の自室へとあがらせて、 少し遅れて飲み物を乗せたトレイを手にして入ってきた。 大石の部屋は雑然としていた。 水槽は既に空になり、ダンボールの切れ端で梱包されていた。 本棚も空、机の上もすっきりとしていた。 この様子では、あのクローゼットも空になっていることだろう。 空になったあれこれの寂しさを紛らわすように、あちこちに段ボールが積まれていた。 「引っ越すの」 「というか、出て行くから荷物の整理を」 部屋の中央に一応残っているテーブルに飲み物を置き、その一つの前に大石は腰掛けた。 段ボールだらけの部屋の中、何とか座る場所だけは確保されているようで、 彼はそこに狭苦しい姿勢で座って、段ボールを押しのけて俺の座る場所をあけてくれた。 「誰かに聞いたのか」 「うん」 誰に何を聞いたのかについては、俺は言わなかったし、大石も訊こうとしなかった。 こうした曖昧さが俺たちの関係にはいつでもつきまとっていたことを思い出す。 俺たちは恋人だったのか、互いの性欲処理の為に身体を重ねていただけだったのか、 確認しあったことがなかったことも思い出す。 俺は恋人のつもりだった。 だから、卒業してからの、彼の「もうおしまい」といわんばかりの態度に傷ついた。 傷ついたことを彼に悟られまいとするほどに傷ついた。 彼は一体どうだったのだろうか。 「参ったな、噂って早いよな」 「そうだね・・・。ねぇ、大石」 「うん」 「家を出て、どこに行くの」 「決まってないんだよ。とりあえず近所の目があるから出て行ってくれってさ。 荷物は納屋にしまっておいてくれるみたいだけど」 大石がどういう性癖の持ち主であろうが、犯罪をおかしたわけでもなく、 ただひっそりと男と愛し合っていたというだけの話なのに。 そんなこと、噂をする人たちには何も関係のない話なのに。 噂とは何という恐ろしい武器なのだろうか。 不特定多数の口が、ジワジワと特定の他人を傷つける、 その主体性のない曖昧な悪意に、俺はぞっとした。 目の前の青年はどこからどう見ても上品で、知的で、なのにただ一つ、 同性愛者であるというだけで、社会的に抹殺されようとしている。 同性愛者ではないだけで品性のかけらも知性の切れ端も持たない、 そんな連中よりも冷遇されようとしている。 「大石、俺だけじゃなかったんだ」 「どういうこと」 「だから・・・そういう・・・男とっての」 「ああ、そうみたいだな」 その言葉は、当然のものだったのに、俺は頭を後ろからガツンと殴られたような ショックを受けた。 聞きたくないなら、あえて訊ねないことも出来たのに、俺はバカのように、 自分を哀れなものにしたいかのように訊ね、そして当然の答えにショックを受けた。 大石は淡々としていた。 軽く湯気をたてているコーヒーをすすりながら、しかし俺の目を見ないまま、話した。 「大学の時には普通に暮らしてたんだけどさ。 ダメだったな、何だか違うなってしっくりこない感じがいつもつきまとってさ。 彼女も作ったし、合コンとかで不埒な恋愛の真似事もしてみたけど、 気持ちが入っていかなくて」 そして、これで話は終わりという合図だろうか、少し音をたててコーヒーを啜った。 「大石、今は?恋人とかいないの」 「いないよ」 「女のことじゃないよ?」 「分かってる。男の恋人もいないよ」 大石は相変わらず目を上げずに答える。 「お、俺んち来なよ」 ビックリしたように、その黒い瞳がやっと俺を見た。 じっと見つめられるのは、いつでもドキドキする。 あの頃からそうだ。 俺はこいつに恋をしていたし、事実、今もし続けている。 「やめとけよ。お前まで噂になっちゃうぞ」 ふっと笑った。 ごまかすように、優しく。 「大丈夫だってば。 俺、今一人で暮らしてるんだ、この前彼女とも別れちゃって。 だから大丈夫だよ。誰も来ないし。 ね、そうしなよ」 俺は大石を助けたい気持ちがあったことは誰に対しても胸を張って言える。 それが恋のためであれ、俺はこの窮地に立っている旧友を助けたかった。 だがしかし、「それは下心の一つもないのか」と問われれば、俺はまた、 間違いなく赤面して俯いてしまったであろう。 俺は下心を抱いていた。 それはぬぐいようのない事実だ。 俺との関係に終止符を打った、もしくは打ったと俺が考えていただけかも知れないが、 とにかく手の届かないところに行ってしまったと思っていた恋人が、事実肉体的には それを受け入れる素養を未だに持ち合わせているという事実に、俺の心は躍った。 この男をもう一度手に入れることが出来るかも知れないと、淡い期待を持ったのだ。 俺の凝視をかわすように、大石は微笑んだ。 そして目を伏せて、首を横に振った。 「駄目だよ、英二。それは出来ない」 彼のその言葉は、俺に二の句を告げさせない強さがあった。 「ありがとうな。落ち着いたらきっと知らせるから」 大石に玄関まで送られて、俺は手ぶらで帰途についた。 大石とのことを思い出しながら、自分の影を眺めて帰った。 電燈と自分との位置で、俺の影は長くなったり短くなったり 色が濃くなったり薄くなったりした。 その影を眺めながら、俺は大石の腰はどんな風に動いていたかを思い出した。 大石とのセックスはいつでもよかった。 彼の漏らすため息もいつでも扇情的だった。 そして、彼が達する時に俺の名を呼ぶ声も、また。 大石との連絡はそこで途絶えてしまった。 連絡がさっぱりないので、俺は落ち葉を踏みしめながら彼の実家に一度だけ行ったが、 インターフォン越しに、連絡先は分からないという応えがあっただけであった。 落ち着いたら連絡する、というあの言葉を信じるならば、彼は未だに落ち着いた生活が 出来ていないということになる。 あの言葉が嘘ならば、彼は仮に今落ち着いているとしても、俺に二度と 連絡をするつもりがないということだ。 俺は悲しいかな、前者であることを神に祈った。 彼の不幸を願っていたわけでは決してないのだが、俺は彼に切り離されたくないと、 それほどに強く願っていた。 会社のデスクに携帯を持ち込んで、日に何度もチェックをした。 会議にも電源を切らずに持ち込んだ。 寝るときにも枕元に電話を引き寄せた。 だけれど、彼からの連絡は一向に来なかった。 |