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THESE DAYS / 3
冬がぐんぐんと空を覆いつくし始めた頃、手塚が一時帰国したという知らせを受けた。 あの頃の仲間の中、彼だけはテニス道を邁進し、今ではプロテニスプレイヤーになっている。 高校の途中からアメリカに留学し、そのまま向こうを拠点としている。 手塚の帰国のには、大石も必ず姿を見せたものだ。 手塚は滅多に日本には帰ってこなかったので、その機会も滅多にはなかったが。 久しぶりに青学テニス部に召集がかかった。 突然のことだったので、本当に近しい者にしか声もかけられなかったが、 俺はその場に足を運んだ。 あの頃の残り香に身を任せるべく。 そしてまた、大石の噂を何か入手できるかもしれないという淡い期待を胸に。 店内はとてもうるさかった。 遅れて入ってきた俺に気づいて、手塚がこちらを見た。 その視線は一瞬、俺の背後にも向けられた。 俺は一人だったので、手塚はまた俺の顔に視線を戻して、手を軽く上げた。 「ひさしぶりじゃん、元気にしてた」 俺は手塚の左右の席が埋まっていたので、彼の背後に立ち、 馴れ馴れしく肩に手を置いて手塚に声をかけた。 「ああ」 相変わらずの無愛想な返事だが、一応口の端には微笑みらしきものが漂う。 「あの頃」とは違い、彼も多少は社会の波にもまれて柔和になったということだ。 ふっと声をひそめて、彼は俺に訊ねた。 「大石は」 この声のひそめようを伺う限り、彼もあの噂を既に耳に入れていたようだ。 俺も小声になり、彼の耳元にかがんで答える。 「連絡とれないんだ、家を出てから」 「どこにいるのか見当はつかないのか」 「皆目」 俺たちのひそひそ話を、手塚の隣に座っていた不二は鋭く聞きつけた。 彼の一種独特の気遣いだとは分かっているけれど、俺はこの時は彼の態度に 心底腹を立てた。 彼は大きな声で、その名を口にしたのだ。 「大石の居場所、分からないの」 途端に周囲が水を打ったように静まり返った。 人が楽しそうにはしゃいでいる酒場で、この一角だけが異様な雰囲気に包まれる。 誰が言いふらしたわけでもないだろうが、その静寂さが、 大石の噂がいかに広く膾炙しているかを物語っていた。 知らないのは、こいつと、こいつか、と明らかに見て分かる。 知っている者は、誰とも目をあわさないように目をそむけたり、わざとらしく グラスの中を眺めたりしているからだ。 知らない者は、あわせる視点を求めてさまよう。 それは互いに知らない者同士でしか絡み合わず、何の解決にもならないことを 視線で探り合う。 それでも不二は、周囲の雰囲気はどうであれ、真実ただ一つを求める。 「実家にも連絡ないって?」 俺は仕方なしに答える。 「聴いてないって」 「知る努力もしてない感じだね」 「多分」 公開された会話にすることによって、何らかの情報を得る。 それが不二のやり方だ。 そしてそれはいつでも成功する。 「ハッテン場にいるんじゃないかな」 誰かが小声で言った。 小声にも関わらず、俺の耳にハッキリと聞こえた。 そのくらい、俺たちのいた一角は静まり返っていたのだ。 「ハッテン場って何」 俺は声の方向を向いて訊ねた。 「ゲイが沢山いるところだろ」 そう言って、彼は、都内の有名な盛り場の地名を言った。 歓楽街の片隅に、そうしたゲイが多く集まる通りがあるのだという。 「探しに行ってみようかな」 俺の言葉に、不二と桃は口々に言う。 「やめなよ、危ないから」 「声かけられちゃいますよ?」 危ない、というその言葉は、恐らく物理的なことではなく、 不二は俺の精神をこそ心配したのだと思う。 俺がその街に取りこまれはしないかと彼は心配したのだろう。 しかしその忠告は俺の耳には届きこそすれ、心には届かなかった。 俺はその飲み会が終わるなり、教えてもらった街へと足を向けたのだから。 どのくらい歩き回っただろうか。 それらしい店を覗き込んだり、通り行く人の顔を眺めて、大石の影を探した。 狭い狭い路地から更に横に伸びた、ビルとビルの間に出来た隙間のような通り道。 そこに大石はいた。 うーうー唸って。 ビルの隙間に大きなブリキのゴミ箱があり、その上で大石は唸ってた。 口を手で塞がれて、ズボンだけ脱がされて。 男につっこまれて、苦しそうな顔で唸っていた。 俺は声をあげることが出来なかった。 大石の身体は前にも増して細く、また白かった。 その身体を捻じ曲げられ、身体を押しつぶされるようにして、大石は男に貫かれていた。 ゴミ箱の上に浅く腰かけ、背中を背後のビルの壁に押し付け、胎児のように身体を丸める。 顔は男の手で下半分が覆われ、目は固く閉じられていた。 俺に抱かれていた大石の顔ではなく、ただひたすらに苦痛に耐えるように 眉間に深々と皺を刻み、彼はくぐもった唸り声をあげていた。 男が腰の動きを一層早め、大石の中に射精したであろう瞬間、大石の唸り声は 悲鳴に変わった。 その悲鳴と共に見開いた目で、俺を認めた。 男のペニスを引き抜かれた尻とペニスをさらしたまま、大石は俺を呆然とした顔で 見つめながらゴミ箱からずるりと滑り落ち、そのまま地面にべったりと座り込む。 男はちらりと大石の視線の先に俺を見たが、気にしない様子でボソボソと大石に声をかけ、 5千円札をひらりと彼の前に落として、路地を向こう側に抜けて去った。 俺たちは無言のまましばらく見つめあった。 大石の黒目がちの瞳は大きく見開かれ、瞬きをすることも忘れたかのように 俺を凝視し続けた。 ビル風が先ほど男の落としていった5千円札を吹き飛ばそうとした。 俺は反射的に動き、大石の膝元に、その紙幣を押さえる。 紙幣を押さえつけた自分の手の先に、大石の萎えたペニスが地面に触れていた。 俺は何を言っていいのか分からないまま、彼の頬にその手を滑らせた。 そして、だらりとした彼の腕を自分の首にまわさせて抱き起こし、 彼の下着とズボンを引き上げた。 「何しに来たんだ、英二」 大石はしゃがれた声で呟いた。 「こんなところに・・・何を・・・」 彼の声を聴いた途端、それまで凍り付いていた俺の気持ちは 一気に氷解したようだった。 「何やってんだよ、大石」 俺は大石を抱きしめた。 「俺、お前のことそんな風にしちゃったのかよ」 突然、彼は目が覚めたように俺の身体を押しやった。 細い腕だったがその腕には確固とした意思を感じた。 俺は大石に拒絶されたのだ。 「英二のせいじゃないよ」 彼の声から、先ほどの弱弱しい様子はすっかり失われていた。 彼の声は干からびてしまったような、強く、硬い響きを帯びていた。 「もともとそうだったんだよ。きっかけがあったら、いつでもこうなってた。 英二のせいじゃない」 『英二のせいじゃない』、は『英二には関係ない』と俺には聴こえた。 「だから、もうここには来ないでくれ」 俺は、彼に切り離されるという恐怖に震えた。 「やだよ、心配だもん!」 俺は悲鳴を上げるようにして叫んだ。 「大体なんだよ、5千円って!!何でそんなに安いんだよ!」 俺の絶叫を受け流すように、彼の声は静かだった。 「仕方ないだろう、足元を見られてるんだ。踏み倒されないだけいい」 「そんな・・・!」 尚も言いつのろうとする俺の背後から、いきなり野太くて裏返った声がした。 「やだ、秀ちゃん、何やってるの」 振り返ると、そこにはけばけばしいファーのコートを着た女装の男が立っていた。 俺の顔をジロジロと見て、その男は笑う。 「なーに、可愛い子。新顔?」 答えようとしたが、突然肩をぐっと後ろに掴まれたかと思うと、大石の背中が 目の前に現れた。 「違うんだ、こいつは」 大石はぶっきらぼうな声でその男に答えた。 「昔の友達でさ。関係ないんだよ。 そのケはないから、構わないでくれないか」 「なんだ、つまんないの」 カラカラとカラスが鳴くような声でその男は笑うと、不必要なまでに 腰をくねらせながら立ち去った。 薄暗い街頭でも、その後ろ脛に毛が生えているのが見えて、 俺は途方もなく不愉快な気分になった。 媚びるような笑顔、誘うような腰つき、そのくせ体毛をきちんと処理することもしない そのだらしなさが、あまりにも醜悪だった。 そして、目の前で醜悪な男が去るのを睨むように見据えている大石の 何の飾りたてもしていない男そのままの姿が、俺には誇らしく思えた。 「俺、そのケがないわけじゃないよ」 大石の背中に手を添えて、俺は言った。 俺は今でもお前が好きだ、と言ったつもりだった。 だけれど、大石はもう一度、キッパリと俺を拒絶した。 「もう帰れ、英二」 振り返って俺を見てから、彼は恥じるように目を伏せた。 「二度と来るなよ、ここには」 家に帰り着いてから、俺は嘔吐した。 あの汚い路地裏で行われていたことを思い出し、 今更のようにショックを受け、 悲しさと嫉妬に胸を焼かれた。 俺の大石が、と |