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THOSE DAYS/ pianissimo _ shuichiro
まだ英二と暮らし始めて間もない頃、 あれは夏の真っ盛りの頃だったか。 俺は不愉快な汗を腋に感じながら、道端に佇んでいた。 夜になっても決して快適にはならないこの街。 腫れぼったいような臭気と、粘っこい暑さをぼってりと膨らませたこの街。 余計に不愉快なくらいだ。 そしてその晩、客は一向に取れなかった。 もう今日は切り上げようかと思い始めた頃、俺に声をかけてきたのは女の二人連れだった。 「貴方、ゲイなんでしょう?」 髪を短く刈った、図太そうな女が俺の顔や身体を嘗め回すようにジロジロと眺める。 「そうだ」 その女に腕を掴まれるようにして、ロングヘアのほっそりした女が背後に立っていた。 少し時代遅れの、赤いスーツを着ている。 年齢は30前後か。 似合わない濃い化粧をして、場違いなところに連れて来られた子供のように、 突然捕獲された鳩のように、おどおどしていた。 この街には相応しくない。 「女性客は取らないから、話しかけても無駄だと思う」 「貴方、女に全く興味がないの」 「ああ、全く」 「好都合ね、貴方を買うわ」 「どういうことだ」 髪の短い女は、ふん、と鼻で笑った。 「見ているだけでいいのよ、わたしたちの愛し合うところを」 「それは苦痛だな」 「お金はちゃんと払うわよ。この時間だし、悪い話じゃないと思うけど」 確かに悪い話ではない。 今日は既に時間も遅く、これから客が拾える可能性は低い。 胸がムカムカすることは確かだが、ただその場に座っているだけで金が貰えるのは、 こちらに痛みのない取引だ。 「こんなものでどうかしら」 迷う俺に、女は短い指を立てた。 俺が思っていたよりも、それは1本多かった。 「場所は」 「Bホテルよ」 女の言うホテルに向かって、俺たちは歩き始めた。 腕を引かれた髪の長い女は、ちらちらと俺を見た。 助けを求めるように、卑屈な目つきで。 髪の短い女、明らかに優位に立っている押し出しの強い女は、ぐいぐいと連れの手を引く。 そして、俺を犬でも見るかのような無関心な視線で振り返る。 「2時間で解放するわ、それでいいでしょう」 「ああ」 足を踏み入れた安ホテルのロビーの片隅に、俺は煙草の自動販売機を発見した。 「2箱、買ってくれないか」 コンコン、と欲しい銘柄の前のガラスをノックするように軽く叩く。 「2時間なら2箱必要だ」 「いいわ」 1000円札を手渡され、2箱を買い、小銭をポケットに落とす。 「シャワーを浴びていらっしゃい」 部屋に入るなり、髪の短い女は、気の弱そうなロングヘアの女の背中を押して、 自分は俺の向かいのソファに腰を下ろす。 こうして明かりの下で見る女は、40をとっくに過ぎ、そろそろ50に手が届きそうに見える。 女としては気の毒だが、ずんぐりとした太短い体型、太短い四肢、太短い指、 ゴツゴツと骨ばった顔を持っている。 髪を短く刈り上げ、淡い緑色のパンツスーツ姿の彼女は、女言葉を話すものの、 女性独特の丸みが語感にない。 ジロジロと俺を見るのは、俺に対して興味があるわけではなく、ただ、鑑賞物と思っているに 過ぎないことは、その視線の無遠慮さからも知れる。 「サマになってるわね、貴方。綺麗な男だわ」 「有難う」 一応、彼女の審美眼にはかなったらしいが、嬉しさは全くない。 「いくつなの、まだ若いわね」 「26」 「育ちのいいボンボンが突っ張って図太く見せているようにも思えるけれど・・・ もしかしてそれも演技なのかしら?そんな気もするわね」 「さあ、どうかな」 女の顔も見ずに、俺は煙草の封を切り、一本咥える。 「ああ、ライター・・・フロントに行けばあるか」 女は自分のバッグからライターを出し、腰を上げかけた俺を制する。 「あげるわ、安物だし」 何も始まってはいないというのに、既に息の詰まるような気分でいた俺は、 中座する機会を失いがっかりしながらも、それを受け取った。 「冷蔵庫のものを飲んでもいいかな」 「いくらでもどうぞ。何を飲んでも構わないわ」 喉が渇いていたわけではないが、向かいあっていることが気詰まりで、腰を上げた。 咥え煙草のまま、冷蔵庫に顔を突っ込み、缶ビールを手に取る。 プルタブを起こそうとした瞬間、咥えた煙草の灰が落ちた。 濡れた缶にそれらはいやらしげに張り付いた。 たまらなく不愉快だったが、シャツの裾でぬぐった。 髪の短い女も後を追ってバスルームに行ったので、俺はようやく深く息をつき、テレビを リモコンでちらちらと仄めかせつつ、ビールを片手に背もたれに深々と沈み込んだ。 英二がここにいたら、と思った。 こんな柔らかい椅子に、二人で並んで座って、ビールを飲みながらテレビを眺めて、時々キスをして、 そんな風に時間を共に過ごしたことが俺たちにはない。 高校時代を最後に別れてしまった俺たち、再び愛し合うようになった時にはとんでもない貧乏だった 俺たちは、二人だけでゆっくり酒を飲んだことがない。 英二も俺も、酒は強いほうだし好きなのだが、機会にも金銭にも恵まれていないのが実情だ。 「さあ、始めるわよ」 バスルームのドアが開き、むわっと湿気を含んだ空気が部屋に流れ込んできた。 しばしクーラーの風に外気を忘れていた俺は、外に広がるこの街を思い出し、渋面を作った。 髪の短い女、チエコと言ったが、は恥ずかしげもなく全裸で、マリと呼ばれる髪の長い女は バスタオルを身体に巻き、ろくろく身体の水滴をぬぐわないままに出てきた。 こうして見ると、マリは30より手前だと気づく。 蒸気で化粧が落ちかけた顔は、更に幼く、俺よりは年上だろうが、大して離れていないように見えた。 「チエコさん、わたしやっぱり・・・」 「恥ずかしがることはないのよ、可愛い子ね」 チエコはマリの顎を掴み、俺に見えるようにキスをする。 そしてそのキスは粘液質なそれへと徐々に移行していく。 舌を絡み合わせる。 何と不衛生な行為だろう。汚らしい。背筋に寒気すら覚える。 勝手にやれ、と思う 俺はここにいればいいのだ。 誰にも手出しせず、興奮もせず、ここに媒体として存在すればいい。 そして俺は無闇に白煙を吐き出す。 口腔への刺激が深まり、身を捩ったマリの身体から、バスタオルが落ちた。 彼女の手は、一瞬、それを止めようと蠢くけれど、それは空しい。 バスタオルは足元に落ちた。 ふくよかな女性の肉体。 それ自体はとても好きだ。 抱き寄せて、胸に顔をうずめて。 それは幸せだ。 ただし、勃起するかと問われると、それはどうかと思うだけだ。 セックスをしたいとは思わない。 勃起させるのに、俺がどれだけ苦労するか。 全くもって面倒くさい。 冗談じゃない。 チエコの身体は、服の上から想像するよりも悪くなかった。 男としては、という意味だが。 切り株のような身体だった。 贅肉もなく、本当に無骨な固い肉体だ。 わずかに盛り上がった乳房と、股間に陰毛を掻き分けて屹立するものがない、 その不在だけが彼女が性別的に女性であることを証明しているに過ぎない。 触り心地の悪そうな身体だ。 なるほど、彼女の身体は触られる為ではなく、触る為、相手の身体を支える為に存在しているのか。 対するマリは、実に美しい女だ。 頬骨の張った、魅力的な顔立ちの女だ。 ふくよかな乳房も、柔らかそうな二の腕も魅惑的だ。 尻が若干垂れ下がっているのも、下腹に無駄な肉がついているのも、かえって好ましい。 黒々と濃く茂った陰毛がエロティックで、彼女の子供のような顔に存外によく似合う。 しかし、その小指は気に食わない。 何だってピンと立っているんだ。 謎だ。 謎深い。 そして俺の吐き出す白煙は、勢いよく立ち込める。 俺はふと立ち上がると、床に落ちたバスタオルを拾い上げ、ベッドに仰向けに寝かされて、 同性からの愛撫を受けているマリの顔を拭った。 化粧を取った方が余程いい。 どうせ眺めることを強要されるのなら、自分に好ましい形の方がいいに決まっている。 そして、手のひらでぎゅっとマリの左乳房を潰した。 掌のど真ん中を、彼女の固くなった乳首がくすぐり、俺は少し愉快な気分になれた。 マリは、突然の俺の介入に驚き、大きな瞳を見開いてこちらを見上げた。 俺は笑ってやった。 でもそれだけだ。 俺は背を向けて、冷蔵庫から二本目の缶ビールを出してソファに戻る。 実にねちっこい愛撫だ。 1時間を経過する頃には、俺はもう飽き飽きしていた。 ただでさえ、あっちに尻を向け、こっちに尻を向け、グロテスクとしか思えない女の内臓を何度も 見せられてウンザリしているというのに、こいつらの持久力は一体何だ。 2時間と約束はしたものの、まさか2時間、ずっとセックスをするとは思わなかった。 そうか、女という生き物は一晩に何回でも性を貪れる生き物なんだな、と改めて実感した。 過去につきあった女たちの貪欲さも今更ながら頷ける。 『秀一郎、もっと』 俺にもっとどうしろと言うんだ。 勃起させているだけでも精一杯の俺に、何をどうしろと。 マリは何度もイかされ、頭の奥がボンヤリしているように見えた。 「いやあ、おねがい、もうダメえ、やめて」 そうだ、やめろ、もういい加減にしろ。 だけど、その甘い声は本質的に終わりを求めているのではない。 必然的に、まだまだ終わりは来ないのだ。 俺はウンザリしながら、もう一本ビールを飲もうと冷蔵庫を開け、それまで飲んでいた銘柄が もうそこにないことに更にウンザリしながら、他の銘柄のものを手に取る。 これは酸味が強くて美味くない。 ちっと舌打ちをする俺の耳に、チエコがマリの膣をかき回す、ぐちぐちとも、ぐぽぐぽとも聴こえる、 重い粘り気を含んだ音が聞こえてくる。 やっとそこまで到達したか。 俺は安堵のため息をつく。 ペニスというものは、普段の状態がゼロ、勃起した時のベクトルをプラスで示すとするならば、 マイナスを示すということは、物理的にありえない。 せいぜいあまりに寒かったり、あまりに恐怖を感じたりした時に縮みあがる程度で、萎えるという 意味においては、マイナスの形態というものは存在しない。 だけど、俺は、もし示せる形があるのなら、マイナスのベクトルを自分のペニスに示させたいほど、 正直に言うと、全くウンザリしていた。 ソファに戻って煙草の箱に手をやると、それは空になっていた。 もう一度軽く舌打ちをして、それをゴミ箱に投げ込む。 コン、と乾いた音がして、マリがそれによって俺の存在を再認識したのか、怯えたような 潤んだ瞳でこちらを見た。 俺はその視線を受け止めながら、2箱目の封を切る。 その瞬間、マリは何回目かの絶頂を迎えた。 それも特大のやつだ。 チエコはマリの絶頂の震えを楽しそうに腕に受け止め、芸をよくしてみせた犬に対する それのような視線を俺に向けた。 そうだ、俺は仕事を有能にこなしている。 極めて有能だ。 万に一つの無駄もない。 「マリ、もう欲しいのね?欲しいと言ってごらんなさい」 チエコはマリの膣を、わざとらしく音を立てて乱暴にかきまわしながら、笑う。 マリは身悶えをする。 「あ・・・ああ、欲しいです、ください」 「何が欲しいの、ちゃんと言って」 マリは俺を見た。 そしてはしたない言葉を大声で口にした。 一度口にすると、それはもう止まらなかった。 何度も、何度も、その物体を叫んだ。 俺の股間で果てしなく縮こまって怠惰な安眠を貪っている、そのものを。 「いい子ね、あげるわ」 チエコは嬉しそうに、淫靡に笑った。 しかしマリの求めているものは、作り物のそれではない。 俺だ。 俺のペニスを彼女は求めている。 手に入らないものを求めるのは、いつだって悲しむべき世の常だ。 チエコは股間からディルドの生えた下着を身につけ、ベッドにマリを組み伏せる。 マリは欲しがっていた。 ヨダレも、涙も、鼻水まで垂らしてそれを求めていた。 ディルドを突き立てて、女たちは嬌声をあげはじめる。 今までも凄まじかったが、そんなものの比ではない、悲鳴に近い嬌声だ。 マリはずっとイっているように見える。 チエコが腰を沈めるたびに、マリは狂ったように泣き叫ぶ。 見ろ、あの足の痙攣を。 よくも足の指やふくらはぎがつらないものだ。 俺はと言えば、白々しい気持ちでそこに座っていた。 買ってもらった煙草に次々に火をつける。 英二は嫌がることを知っているけれど、俺は煙草が好きだ。 この白けた煙が好きだ。 「いいわ、とてもいい。ああ、マリ」 チエコも低くて甘い泣き声も漏らす。 そんなわけないだろう、こいつら、バカなんじゃないか。 ディルドを突きたてられている女は感じることもあるかも知れないが、 突き立てている方が嬌声をあげるなど、全く笑止だ。 そんなわけがない。 俺は煙草の火を消して、次を求めて指を蠢かせる。 マリがぐしゃぐしゃの顔をこちらに向ける。 欲しいだろう、と俺は片眉を上げて応えてみせる。 作り物ではない、ペニスが欲しいのだろう。 だけど、俺は勃起しえない。 すまないが、無理矢理にでも頑張ろうという意欲にも乏しい。 目を逸らしながら、笑う。 限りない努力を奮起させるには、煙草とビールだけではあまりに力弱い。 俺はむしろ、知らないふりをして、煙を吐き出す方が余程いい。 そもそも俺に与えられている仕事は、ここに居ること、ただそれだけのはずだからだ。 最初に示した介入だけでも、煙草とビールに充分なサービスだろう。 やっと終わったと俺が実感できたのは、チエコとマリの乳房が、互いの荒い息の下で 重なり合った時だった。 終わりのないセックス。 終わるのは、互いの体力が尽きた時か、攻める側が飽きた時かしかないわけだ。 全くご苦労様なことだ。 重なり合って潰れた2組の乳房の蠕動がやむのを待って、俺は腰を上げた。 「そろそろ帰ってもいいかな。これで終わりだろう?」 「ちょっと待って」 チエコは重そうに身を起こす。 マリは放心し、乱れた髪を治すことも、開いた股を閉じることもしない。 「まだ1時間半じゃないの」 チエコが時計を見て言い、俺は眩暈をおぼえた。 こいつら、まだやる気か? 「わたしは泊まるけど、この子は帰らなくちゃいけないから、駅のタクシー乗り場まで 送っていってやってくれないかしら」 鬱陶しいが、最悪の事態は避けられたことで、俺は快く頷いた。 チエコはだるそうに振舞うマリを促してバスルームに行かせ、立ち上がり全裸のまま、 財布を取り出して俺の隣に腰掛ける。 粘液まじりの汗が身体につきそうで、俺はちょっと身を引いた。 「約束のお金よ」 そう言って、チエコは俺に金を掴ませる。 「あなたのおかげで、いいセックスだったわ」 「それはよかった」 紙幣を尻ポケットにねじ込む。 ふふん、と彼女は鼻で笑って、突然俺の股間を握った。 そして俺のペニスを確かめて、言う。 「真性のゲイなのね、あなた」 違うな。 俺は心の中で自虐的に笑う。 俺は真性の現実主義者なだけだ。 シャワーを浴びて、服を身につけたマリは、化粧が殆ど落ちてしまったことも手伝い、 前よりも所在なげだった。 赤いスーツが、今ではとてつもなく、みすぼらしく見えるほどに。 「じゃあまたね、マリ」 キスをしてくるチエコの唇を、肩をすぼめて嫌そうに、それでも一応受け止めた。 その瞬間、チエコがマリの手に紙幣を握らせたのを、俺は見ていた。 車代か、それとも。 いや、人のことはいい。 俺はマリを促して、汚らしいホテルを後にした。 無言で駅に向かった。 話すこともなかったし、話すことも不適切のように思えたからだ。 彼女は自分を恥じている。 そこに追い討ちをかける必要もないだろう。 駅の光が見えてきた頃、彼女は突然、後ろから俺の袖を引いた。 俺はびっくりして、彼女を振り返る。 「わたし、魅力なかったですか」 マリはそう潤む瞳で問いかけてきた。 ああ、そうではないのだよ。 「貴方にとって、魅力的ではなかったですか」 実に貴女は美しい。 「貴女、ああいうことがイヤなら、おやめなさい」 僕は笑った。嫌味のように。 「今すぐに、おやめなさい」 僕は余った煙草のボックスから1本だけ抜き取り、それら10本以上残ったボックスを 道端に投げ捨て、踏み潰した。 「折角買ってい頂いたのに、失礼」 そして最後の一本に火を点けた後で、ライターも投げ捨てた。 「僕の愛する人は、煙草の匂いが嫌いなものだから」 「愛している人がいるの」 「いる」 「でも身体を売っているんでしょう」 「そうだ」 「その人だけの貴方になろうとは思わないの」 「思う」 頭では思うのだ。 いくらでも思うのだ。 「どうしてそうしないの」 「さあ。僕もそれを考えている」 俺は煙草をせわしなく、短い息で何度も吸った。 そうしながら、足を早めた。 「わたし」 マリは僕の背中に追いすがった。 「わたし、貴方なら愛せると思う。貴方なら、貴方だけのわたしになれる」 「残念だけど」 俺は最後の煙草を投げ捨てた。 「僕は貴女だけの俺にはなれない。 精神的にも、肉体的にも、絶望的に不可能だ」 火を消した瞬間、もう一口吸ってからにすればよかったと後悔するのも、世の常だ。 「もう一本、煙草を。持っているだろう?銘柄は問わない。何でもいいから一本欲しい」 彼女はハンドバッグから、スリムタイプの煙草を出して差し出す。 俺はその煙草に火を点けた。 まずいけれど、ないよりも百万倍マシだ。 「この姿は情けないと思うな」 「そうでしょうね。ピアニッシモ。その煙草に似合う男は見たことがない」 「オカマっぽくてイヤだが、好き嫌いを言ってる場合でもない」 「貴方、似合ってるわよ」 「心外だ。極めて」 「貴方は男に抱かれる男なんでしょう。褒め言葉よ」 「そんなことはただの形式だ。全く本質には関わりがない」 俺は、何か大切なものを見失っているのか。 そうだろう。 きっとそうなのだろう。 「僕は男だ。どうしようもない事実だ」 「そうね、並大抵の女なら欲情せずにおれないほど、確かに男ね」 俺は誘われていることを知りつつも、それをどうとも思わずに歩いた。 いくら美しいと言っても、相手は女性だ。 「缶コーヒーが飲みたい」 俺は自動販売機の前で立ち止まり、親指で指す。 「暖かいのがいい」 「貴方、ホストにでもなればいいわ」 彼女は小銭を財布から出す。 「ちょこちょこと女から毟り取る天才になれるのに。その気はないの」 小銭を飲み込んだ販売機の、誘うように光るボタンを押す。 「ない」 女は腰を落として、販売機の取り出し口から缶コーヒーを取り、俺に手渡す。 「優雅な仕草だ」 「有難う」 「貴女、普通に恋愛をするといい。とても素敵だ」 「でも貴方はわたしに魅力を感じないのでしょう」 「感じるよ」 パキンと硬い音をたててプルタブを上げる。 「もうちょっと気力があったら、限りない努力をして亀頭くらいは動かして見せてもいいとすら思う」 それは俺の本心だ。 だけれど、俺には全く気力がないし、それを振り絞ってみようとも思わないだけだ。 缶の中の液体を口に含んで、しばしうがいをするように頬に泳がせる。 女はそっと俺の腕に手をかける。 「どこかに行かない」 「いや、帰るよ」 女の頬に口付けをした。 「貴女は幸せになれるはずだ。なろうとしなさい」 唇の感触を押し込もうとでもするように、彼女はそこを掌で抑えた。 「貴方もよ。愛する人だけの貴方になりなさい」 「ここでいいだろう。タクシー乗り場はすぐそこだ」 「ええ、さよなら」 僕は彼女に背を向けて歩いた。 いい女だった。 だけど、もう会いたくはない。 少なくとも、この街では。 僕は自分の服の匂いを嗅いだ。 とてもヤニ臭い。 もう一口、コーヒーを含む。 「口臭だけ気にしてもしょうがないか」 白々しく呟く。 短時間に30本近く吸ったのだ。 吸いすぎて吐き気がする。 英二は嫌がるだろう。布団に入った途端に蹴られるかもしれない。 それでも、英二を抱きしめたかった。 愛している、英二。 俺が愛しているのはお前だけだ。 それだけ信じてくれれば、お前が俺を愛さなくても構わない。 |