THOSE DAYS/ symbiont _ eiji


大石は狭い路地にはまり込むように屈みこんで、自分の両肩を抱いていた。

「大石・・・?」

俺の声に顔を上げて、俺を認めるなり、傷ついたような顔をして目を逸らした。
自分の肩を抱いた手にぎゅっと力を入れる。
「英二・・・」

突然、俺は膝の裏にむず痒さにも似た痙攣を自覚する。
手に持った弁当を放り投げてしまいたい。
何もかも放り出して、この場から逃げてしまいたい。

俺が大石のことを悶々と考えている最中、こいつはまた男に抱かれていた。
サカリのついた犬のように、だれ彼かまわず、ペニスを尻に咥えこんでいた。

どうせ腰を振ったんだ。
甘いため息を漏らして大きく腰を廻して、自分の感じる部位にペニスを押し当てて、
快楽に身体を震わせたんだ。


自分の肩を抱く大石の手には、万札が握られていた。
1枚じゃない。
恐らく、2枚。

俺の今日の稼ぎよりも多い。
これだけ足を棒のようにして稼いだ金よりも。




大石は路地の壁に寄りかかるようにして、身を起こす。
そして、ぎゅっと万札を握り、それを一瞬の逡巡の後、尻ポケットにねじ込む。


無愛想なほど低い声で大石は俺の顔を見ずに言う。
「今から帰るのか、英二」


『いや、俺は逃げるのだ。お前を置いて、どこかに逃げるのだ』


どうせ、そんなことは言えやしない。
「・・・うん」
そう答えざるを得ない。


心のままに振舞うのであれば、俺はそうしていた。
しかし俺はそうは出来なかった。

大石は「そうか」とも「じゃあ一緒に」とも何とも言わないまま、俺の横に並ぶ。

俺よりも背の高い男。
180をゆうに越えていると思う。
高校3年の身体測定では179だと言っていたけれど、今ではもう少し大きく感じる。

俺が縮んだのだとは思いたくない。

まさか、俺が疲れて縮こまっているなど。
まさか、俺が大石の傍にいることに疲れてしまっているなど。



俺たちはそのまま、どちらからともなく家の方角へと足を踏み出した。

歩いている最中、大石は俺の顔も見ず、俺に話しかけもしなかった。
手をつなぐでもなく、肩を触れ合わすでもなく、俺の持っている荷物を持とうとするでもなく、
俺がそこにはいないかのように振舞った。

時折、横目で盗み見る彼の横顔は放心しているようにも、
また、気難しく考え込んでいるようにも見えた。


俺には大石の考えていることが分からない。

分かっているのは、大石が今日も誰かと寝て、その代金を尻ポケットに入れていて、
部屋に戻れば、金庫を開けてそれを入れるだろうということだけだ。

そして俺はその姿を見たくないのだ。

どうしても。




狭い階段だ。
アパートの2階へと続く階段は、俺一人でも狭く感じるほどに狭い。
手すりに身体を擦らずには通れないほどに狭い。

俺は先にそこを上り始めた。
大石が先に行けば、イヤでも後に続く俺には、彼の細くて長い足と、
その上に小さく硬くかすかに揺れる臀部が目に入る。
今はそんなものは見たくなかった。


階段は今日も11回、きっちり音を立てる。



俺の後から部屋に入ってきた大石は、ささくれだった畳に膝をつき、布団まで這い、
「5分だけ」と言って、そこに横になってしまう。
俺のいる小さな座卓とは反対を向き、正体を失ったように、身動きもせずに横たわる。
その尻ポケットから、万札の端が覗いている。

俺は目を逸らした。

「今日、帰りに弁当貰えたからさ」
ガサガサと音を立てて、ポリ袋から弁当を二つ出す。
「冷たいけど、これでいいかな」
そういえば、スープを買うことを忘れていたことに、言ってから初めて気づいた。

大石の声が冷えた部屋の壁にバウンドする。
「後で頂くよ、有難う」


大石はとても人と話をしている人間とは思えない。
その肩も、その背中も、ぴくりとも動かない。
有難う、と言いながらも、俺の方を伺おうともしない。
反対側を向いている頬すら、少しも動かさない。
全身の筋肉はおろか、筋一本すら動かす気力も湧かないかのように、
大石は引力に身を任せ、汚いせんべい布団に横たわる。


具合でも悪いのか、と俺は大石の傍まで這って行き、その肩を掴む。

「いやだ、英二」
大石はけだるそうに腕を上げて、俺の手を振り払う。
「今日はしたくない」

「何でだよ、大石」
俺はそもそも大石を抱こうと身体に触ったわけではない。
それなのに、こいつは俺の気遣いを、まるで下心であるかのように勘違いし、
挙句、それを一方的に拒絶する。

無性に苛々した。

他の奴とはセックスしても、俺とは出来ないのかよ。

そんな言葉を飲み込みながら俺は大石を背後から抱いて、無理矢理に
こちらを向かせようと力を入れた。
思う以上に強く。

本当にそうしたかったわけではない。
ただ、俺は振り払われたことで傷つき、傷ついたが故に、むきになっているだけだ。
力ずくで大石をこちらに向かせたいだけだ。
力ずくで大石を自分のものだと確認したいだけだ。

頭では分かっているのだ。
いくらでも分かっているのだ。
なのに俺は止まらない。

大石は重そうに身体を捩り、俺の手から離れようともがく。
とても面倒くさそうに。
とてもダルそうに。

まるで場末の女だ。

客がハケてから、まるで手足が鉛で出来てるかのように振舞う、だらしのない女たち。

客と寝たあとに、けだるそうに振舞う大石。

こんな大石はイヤだ。
見たくない。

かっとなって、俺はこちらを向こうとしない大石の上に馬乗りになる。
大石は逃れようと、ひとしきりもがいたが、俺の力任せの蹂躙には叶わなかった。
あっと言う間に彼の両腕は頭の上で押さえつけられ、彼は正面から俺に対峙せざるを
得ない体勢に持ち込まれる。


「やめろよ、英二!」

大石は額の脇に青筋を立てて、めったに見せない怒った顔をする。

いつもなら、この顔を見たら、俺は嫌われてしまうのではという恐怖感に身が竦むところだ。
実際、その時にも俺はどこかで怯えていた。
だけど、もう止まらなかった。
無理矢理でもいい。
彼の意に沿わなくてもいい。
ただ、大石を俺のものにしたかったのだ。


「何でだよ、俺とはヤれないって言うのかよ!」
「今日はいやだ!やめろ!」

組んだ手を離して、俺は大石のシャツを脱がせようとする。
大石は俺の胸を押し、力任せに叩く。

今までに見せたことのない抵抗に、俺は完全に頭に血が上ってしまう。
「そんな勝手な言い分なんか通じると思ってるのかよ、ふざけんな!」
「勝手はどっちだよ!やめろよ!英二!!いやだ!!」


もみあっていた俺の手が、ぴたりと止まった。
それと同時に、大石の怒りに光った瞳が諦めに伏せられた。
「おおいし・・・何だよ、その傷」

強引に開いた大石の胸元に、無数の傷が見えたのだ。


大石は止まってしまった俺の拳から自分の服の襟をもぎとり、ぎゅっと合わせる。
そして身体を出来る限り丸めて、俺の視線から自分を隠そうとしているかのように震えた。

「見るな。英二、頼む」
「何されたんだよ、大石」
「大したことじゃない。お願いだから、見ないでくれ」
「大したことじゃないって・・・だって・・・大石・・・」
「頼む、英二。俺を見るな」

胎児のように身を丸め、大石は頭を抱えた。
袖口から出た細い手首に、かすかに赤い痣が見えた。

俺はそれに触れようと指を伸ばしかけ、自分の指が震えていることに気づき、それを退いた。
「大石・・・縛られたの・・・?」
彼は返事をしなかった。
ぐう、と彼の喉の奥が鳴る音しか聞こえない。
「大石、無理矢理されたの?」

「違う」
大石は頭を抱えたまま、呟く。
「俺は金を受け取った。だから、無理矢理じゃないんだ」



「何されたんだよ、大石・・・ちゃんと話してよ」
大石はその俺の声にも答えない。
答えたくないのか、聴こえていないのか、聴きたくもないのか。

「最低だ」
大石は自分の頭を抱えて、声を震わせる。

「俺は金の為なら何でもするのか。
金さえ貰えば何をされてもいいのか。

最低だ」



俺はこいつに優しくしたいと思う。
心の底から本当に思う。
傷つけたくないと思う。
そうしている内に、俺は自分の本当の気持ちを伝えなくなった。
こいつの本当の気持ちを聞くこともしなくなった。

それは、本当にこいつに優しいことになるんだろうか。
多分、違う。
だから俺は苛立つ。

好きなのかと問われると、間違いなく好きなのだと言える。
だけど、俺はどうやって愛していいのか分からない。

好きなんだと思う。
とてつもなく好きなんだと思う。
俺は、この男をどうしようもなく好きなんだと思う。


俺はなすすべもなく、ただ、大石の震える肩に恐る恐る触れる。
「ごめん」
何に謝っているのか、自分でも分からなかった。
謝るべきことがあるのかも分からなかった。
何か言わなければいけないと思うほどに、それしか口をついて出て来なかった。
「ごめんな、大石」

何に謝っているのだろう。
俺は一体何に、一体誰に謝っているのだろう。



「英二・・・」
震える声で、大石は俺の名を呼ぶ。

「英二・・・英二、好きだ」

何回聞いただろう、この言葉。

聞いても聞いても、聞き飽きることのないこの言葉。

何回聞いても胸の奥がじんじんと熱くなるこの言葉。
何回聞いても、信じきることのできないこの言葉。

「うん」

俺は無理にでも微笑んで答えるけれど、大石はその声に翳りを確実に見つける。
そしてそれを捕獲する。

「信じられないのか、英二?」
「そんなことないよ」

俺の否定の言葉はスルーする。
彼がアウトになるボールを的確に見分けて、しなやかな筋肉を微動さにさせなかったあの頃のように。

大石は俺の腰を掴んで、体勢を逆転させる。
今度は俺が大石に組み敷かれる番だ。

「どうしたら信じられる」

組み敷かれた俺は、大石の黒い瞳から逃れられない。

「どうしたら信じてくれる」

大石は俺の目を捉えて離さない。

こいつの黒い瞳を見ていると、俺はいつでも自我の境目が分からなくなる。
大石と同体化するのではない。
俺が霧散するのだ。

「英二、どうしたら信じられるか言ってくれ。
俺は何でもする。お前の望む俺になる」

「今のお前が好きだ」

「でも信じてない」

大石は悔しそうに目を逸らす。
俺はそれでやっと、自分の意思を確認できる。

「好きだよ、大石」

腕をつっぱって俺の上にいる大石を抱き寄せる。
やっと大石の身体の重みを感じる。

「大石、好きだ」
「だけど信じてない」
「でも好きだ」

大石は泣いていた。
あの黒い大きな瞳をゆらゆら、ゆらゆらさせて。

ねえ、お前はどこに流れていくの。

「どうすればいい、英二。 俺はどうすればいい。
他の男と寝るのをやめればいいか。
だったらもうやめる。もう誰とも寝ない。約束する」

「そういうことを言ってるんじゃないよ、大石」
細長い身体をぎゅっと引き寄せて、首の後ろを掴むように、
俺の首にその顔を押し当てる。

「お前が好きだ。だからいいんだ、これで」

「俺は!」
大石はばっと俺から身を離す。

「俺はお前が好きだ。
それだけ信じて欲しい。
嘘じゃない。
お前に俺を愛して欲しいと思ってるんじゃない。
ただ信じて欲しいんだ。
それだけなのに!!」

大きな黒い瞳。
少し緑がかっている大きな瞳がゆらゆら。ゆらゆら揺れる。
俺は何もかもを吸い取られそうになる。
こいつを好きだという気持ちも。
こいつを憎いと思う気持ちも。


「大石」

言わなくちゃダメなのか。
言わなくちゃやめないのか。
他の男と寝ること。
やめろと言わなくちゃいけないのか。

大石。

どうして。

なんで。




「寝ようよ、大石」
大石の背中を抱き寄せて、俺は囁いた。

「とにかく眠ろう。明日話そう。な」

俺はまた執行猶予期間を与える。
自分にも、大石にも。