U ARE THE SEX MACHINE / SUBJECTION


その朝、教室に入ると、蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。
「おっ、菊丸登場〜!」
「たーいへんだな、お前もさぁ」

何を言われているのか分からなくてうろたえていると、不二が駆け寄って来て、
俺の手を掴んで教室の後ろの方に連れていく。
「ど、どうしたの、不二。何かあったの」
「いいから」

その途中で
「お前も大変だよなぁ、あんなのとペア組んでるとな」
という声が耳に入り、俺は足を止めて振り返る。
「それって大石のこと?」

その答えが来る前に、不二は怖い顔で俺の手をぐっとひっぱって、
無理矢理教室の後ろにあるベランダに連れ出した。


「ちょっとエライことになったんだよ」
「何、大石に何かあったの」
俺は気が気じゃなかった。
6組までくる途中も、全ての教室が大騒ぎをしているのを何だろうと思っていたけれど、
まさか大石に関わりのあることだとは思わなかった。

「謹慎くらったんだよ、大石が」
「謹慎?」
「うん、2週間」
とっさには意味が分からなかった。

謹慎というのは停学や退学と同じように、学校の罰則として存在しているのは
知っていたけど、ここまで2年以上この学校にいて、誰かがこれらの処分を受けた話は
聞いたことがなかったし、全く実感が湧かなかった。

しかも、この学年初の謹慎処分を受けたのが、あの品行方正な大石となると、
もう全く俺の想像を超えた話だったのだ。

「詳しいことはよく分からないけど、テニス部にも何か処分があるかも知れない。
みんなそれで面白がってるんだよ、相手にしちゃいけない」

ああ、そうか、と俺はクラス中の薄笑いを理解した。
うちの学校はテニス部に力を入れていて、ただの練習試合でも授業は免除されるし、
何かと他の生徒から見れば特典とも思える待遇もある。
それが一部の生徒の批判をかっているのも事実だ。
だから、こんなことになって、ちょっとはみんな面白がっている。
いい気味だと思っている部分は多かれ少なかれあるんだと思う。

「お、大石は何をやったの…?」
俺は恐々たずねた。
不二は少し下唇を噛んで、俺の顔を見て、それから小さな声で答えた。


「不純異性交遊だって」


「誰と」

俺はしばらくの沈黙のあとでカラカラの口を開いた。
喉が渇く。

「それがわかんなくて、みんな大騒ぎしてるってわけ」
不二は眉をひそめる。
「まぁ少なくとも校内じゃないね。他に処分を受けてる人間はいないし」

俺は目の前が真っ暗になった。

「大丈夫、英二?」
不二の手が肩に置かれているのを感じて、俺は自分がしゃがみこんでいたことに気付いた。

「うん…」
「そりゃダブルスのペアだけど、だからって英二が気にすることないよ。それに…」
「それに?」
「それに、別に犯罪性のある悪さじゃないから、部にはお咎めはないと思うんだ」
「うん…」
俺が聞きたかったのはそんなことじゃなかったのだけど、ともかく不二が元気づけようと
してくれていることは理解した。
だから肯いた。



その日は学校中が大騒ぎだった。
何しろ大石はテニス部副部長で、クラス委員もやっていたし、実に校内では有名人
だったので、このニュースは学年を問わずホットな話題となった。

「すごいね」
「うん、ホント」
俺と不二は昼に学食に向かいながら、廊下を歩いていた。

2年の廊下では女の子が数人で泣いていた。
多分大石のファンの子達なんだろう。

ちくしょう、泣きたいのはこっちだよ。

人々の好奇の目にさらされても尚、凛として顔をまっすぐに向けて歩く不二の横で、
俺は小さく呟いた。




俺はその時まで、大石は俺だけのものだと思っていたのだから。




「何にしようかな、やっぱりカツ煮定食かなぁ」
「不二、ガツンといくんだね」
「うん、お腹空いちゃったし」
不二は淡々と食券を買って、人込みをすり抜けてカウンターの方へ進む。


俺は食券売り場の前でふと思い出した。
俺はその瞬間、完全に気を抜いてしまったのだろうと思う。
ただ、大石の顔を思い出した。
俺のペニスを咥えている大石の顔を思い出した。
眉根をひそめて、少し苦しそうに咥えた大石の顔を思い出した。


突然、肩に手を置かれて、びくっと縮みあがった。
「買うのか買わないのか。買わないならどけ」
冷たい声が聞こえて、俺はやっと我に返った。
「何だ、手塚じゃん」
「どうした、ぼーっとして」
見上げるその顔はこころなしか青ざめているように見えた。

「大丈夫、手塚」
「ああ」
何も言わないけれど、こいつは人一倍義侠心に厚い男だし、きっと部のことも
大石のことも心配しているんだろう。

「今日部活やるのかにゃあ」
「あとで先生のところに行ってくる」
「うん…ね、手塚」
「なんだ」
「テニスしたいよ」
手塚はまじまじと俺の顔を見た。
そして、ふ、と口元を緩ませて
「そうだな」と言った。




結局、部活はその日一日、混乱を避けるために中止となったが、そのあとは何の
お咎めもなく、大石のいない生活は多少騒々しいながらも過ぎていった。




大石は2週間の謹慎期間の中日に、反省文や課題の提出の為に学校に来る、
という話は乾から聞いた。
そして、部にも挨拶に寄るだろうということだった。

俺は何度か大石の携帯に電話をしてみたけれど、最初は留守電、3日もすると、
「この番号は現在使われておりません」というアナウンスが流れるようになった。

家に電話しても、今は話ができない、ということで、取り次いではもらえなかった。
その時、大石のかーちゃんは涙声だったので、俺は一度電話したきり、
もう二度と電話をかける気にはなれなかった。

大石は一体どうして過ごしているのだろうかと、俺は毎日気が気ではなかった。
何しろ典型的優等生の大石が謹慎をくらうというのは、誰にとっても衝撃的ではあったが、
誰よりも本人が一番痛手をこうむっているだろうと思ったのだ。



ただ無為に時は流れ、大石の登校日がやってきた。
出所はどこなのかわからないが、既に大石が登校するという話は学校中に流れ、
朝から校内はザワザワしていた。
「何時くらいに来るって?」
「午後だろ?」
「もう朝イチで来て帰っちゃったってことはないの?」
などなど。

俺はダブルスのパートナーということで、大石とは仲がいいとされていたので、
数日前から質問攻めにあい、全く当日になった頃には心底疲れきっていた。
俺ほどではないけれど、テニス部員たちは多かれ少なかれ同じような目にあっていた
様子で、手塚などは明らかにピリピリして見えた。

大石は何時に来るのか、俺もまったく知らなかった。
部に挨拶に来るということは、少なくとも午後の遅めの時間なのだろうと
あたりをつけていたが、大石登場の声は聞かれないまま、授業は終わり、
掃除の時間となってしまった。

俺は不幸にも掃除当番だったので、部に走って行きたい気持ちを押さえ、
何食わぬ顔で掃除をし、ゴミ捨ても進んでかってでた。
ソワソワしているのを見抜かれるのが嫌だったし、悔しかったからだ。



体育館の裏手にあるゴミ捨て場に向かう途中、誰かの話し声が聞こえてきた。

大石の声がした。

それともう一人、女の声。

俺はそっと声のするほうに忍び寄った。



「人妻って…秀一郎、あんた節操ってものはないの?」
声が聞こえた。
あの声は知ってる声だ。
3組の女の子で、結構派手で目立つ子だ。
「節操ね」
大石の声。
「何かあたしに言うことないの」
「何も」
「秀一郎、あんた浮気したって自覚はないわけ?」
女の子は最早キレかかっていた。
「浮気?」
「だってそうでしょう!あたしとも人妻とも寝たんじゃない!」
「複数と寝ると浮気になるのか」
女の子は二の句が告げなかった。

大石の静かな声がする。
「俺が寝たのは君だけでもないし、その人妻だけでもない。学内だけでも
何人とも寝てる。それも全部浮気なのか」
「何人ともって…誰よ!」
「君には関係ないよ」
「言いなさいよ!」
「何故言わなきゃいけない」

「あ…あたしは秀一郎の何なのよ…」
「何って、同じ学校の人間だろう」
「それだけなの」
「他に何か」
「あたしと寝たのは何でよ」
大石の大きな溜息。
どうしようもないな、とでも言いたげな。
「セックスするのにいちいち理由づけが必要なのか。知らなかった」

そうしてしばらくの沈黙の後、女の子は口を開く。
「秀一郎って不潔ね。道徳的にじゃなくて、衛生的に」
大石は答えない。
「エイズ検査受けたら?」
「君もどうぞ」

そして、ばし、という音。
「最低よ、あんたって!」
女の金切り声。

そして大石の声。
「さよなら」


ざくざくと静かな足音が遠ざかる。
そして俺には女の子の鳴咽がずっと聞こえていた。
胸が痛かった。

彼女の鳴咽は俺のものでもあったから。




大石の背後に、ちゃり、という音がする。
大石がふと振り返ると、越前がジャージに着替えた姿で
ラケットを肩に担ぐように携えて立っていた。

「もてもてっすね、大石先輩」
「何だ、越前。聞いてたのか」
悪趣味だぞ、と笑う。
越前は少しすねたように顔を下に向ける。

「俺にも同じこと言うんすか」
こつ、と石を蹴飛ばす。
子供みたいだな、と大石は目を細める。

「ごまかさないで下さい」
「ごまかしてないよ」

そうして大石は越前の頬に手をあてる。
「そうだな、同じことを言うよ」

「俺、遊ばれたんすか」
「遊んだつもりはないけど」
「俺、初めてでした」

頬にあてた手を唇に滑らせて、下唇をそっとつまむ。
「俺も男を抱くのは初めてだったよ」
そして微笑む。
「越前だけだったよ」

「嘘じゃないですよね」
「嘘はつかないよ」

「さよなら」
「ああ、さよなら」

そうして越前はコートの方へ、大石は校舎の方へと歩き去る。



大石は部活の終わりごろにコートに顔を見せた。
学ランをきちっと着て、だけど校章はつけていなかった。

集合した俺たちに向かって、
「みなに迷惑をかけて、すまないと思っている」
と、深々と頭を下げた。

詳しいことは何も話さなかった。
そうして、大石は短い挨拶だけを残して、コートをあとにする。
手塚が一緒に出ていった。
何かと連絡事項や、話すこともあるのだろうと思ったが、俺はどうしても大石と
一言話したくて、あとを追いかけていった。
手塚の話が終わったら、捕まえようと思ったのだ。



二人の話し声がかすかに聞き取れる距離を、俺はそっと追った。
水飲み場のあたりで、二人は静かに言葉を交わしていたが、突然、手塚が激昂した声を
張り上げたので、俺はびっくりして、聞こえる距離まで忍び寄った。


二人が視界に入る。
手塚のこめかみに青筋がたっているのが目に入った。

「大石、お前の俺に見せた顔は何だったんだ」
「顔?」
「俺の腕の中で見せた顔だ。苦しそうで、耐えるような顔だ」

ああ、それは俺にも見せていたよ、手塚。
手塚にも見せていたのか、と俺はしびれる頭の奥で思った。

もう驚く気にもなれなかった。
そもそも手塚に関しては、もしかして、という危惧はあったのだ。

ただ、俺はバカみたいに、誓ってもいない大石の貞操を信じて、そんなのは俺の
妄想だと打ち消していただけだ。
俺は大石の恋人なのだと、そう信じていたかっただけだ。
好きだとか愛しているの言葉も交わさず、身体がつながっているだけで、
そう過信していたに過ぎないのだ。

大石はいつでもセックスの時には苦しそうな顔をしていた。
眉をひそめて、目を伏せて、歯をくいしばる。
声は出さない。
だけど貪るようなセックスをする。
ペニスを咥えろと言えば、べちゃべちゃに舐めまわす。
自分で自分のアナルをほじくれと言えば、ぐちぐち音をたててかきまわす。
上に乗って腰を振れと言えば、俺にまたがってなまめかしく腰を動かす。
相変わらず苦しそうな顔で。
だけど、腰を淫らに振って、絶頂を迎えるんだ。

「何を言ってるんだ、手塚?」
大石は不思議そうな顔をする。
悪びれている風でもなく、本当に何を言ってるのか理解できないように。
「お前は…」
手塚は少し言葉を発するのを躊躇してから、意を決したかのように、少し強い語調で言った。
「大石、お前は誰とでも寝るのか」

手塚は多分、大石が少しく怒ると予想していたのだろう。
だけど大石は涼しい顔で
「そうだよ」
と答えた。

「手塚、どれも同じことじゃないか。何を熱くなってるんだ」
大石は冷淡な口調で言う。
「お前は…男でも女でもいいのか…誰でも同じだというのか」
「そうだね」

くっと顎をあげた大石は誇らしげに見えた。
大石は自慢しているわけではないのだが、こういうシチュエーションでこうして毅然として
顎をあげて相手を正面から見据えた大石は、どこか戦場の乙女を思わせた。

「大石…」
「話はそのこと?」
「ああ」
「じゃあもう行くよ。謹慎中だし、あまりうろついてたらまずいしね」
大石はカバンを手にした。
「さよなら」

手塚は答えなかった。
そうしてそこに腑抜けのように立ち尽くしていた。




校門の脇に、黒のアルファロメオが停車していた。
大石は、ちら、と目をやって近づく。

車の窓がするすると開いて、中が見える。
運転席に大人の女性。
相当の美人だが、金持ちで、派手で、香水臭そうな女性。
真っ赤な唇と、真っ赤な爪。
黒のワンピースは、それでもフォーマルにしたつもりなのだろうか。

車内の女性と、車の脇に立ったままの大石は何か少し言葉を交わしていた。
大石が首を横に振る。
そうして屈めていた身をまっすぐに伸ばし、車中の女性を見下ろす。

自分の右手の指を唇にあてて、その指を女の唇にあてる。
さよなら、と彼の唇が動いた。

そうして大石はアルファロメオを後にして歩き出す。




俺は大石に話しかけることが出来ずに、彼を見送った。
ここで彼をつかまえたところで、一体何を言うことができよう。

俺たちは全員、彼の性にとりつかれていた哀れなコキュだったのだ。
それだけの話ではないか?

ただ、彼を見送った。
俺の唇は、さよなら、と呟きかけたが、俺はそれを形にすることができなかった。

どうしても出来なかった。