機械人間/2



俺は恥も外聞も捨てたようだった。
足繁くイヌイの研究室に通っては、彼と向き合って話した。
俺が何を話していたかというと、それは本当に下らないことばかりだった。
その日にあったことや、彼についての夢みたいなこと。
俺がただ一方的に話して、彼はそれを微笑んで聞いていた。
そして、俺の顔をじっと見つめた。
俺にはその優しげな視線がこそばゆくて、心地よかった。



「また来ちゃった」
「はい」
彼は俺の顔を見て、いつでもふんわり笑った。
それが仕組まれている機能であるのに、その嬉しそうな笑顔に俺は懐柔され、
そしてあっさり心地よくなっていた。


彼のことも色々と聞いた。
彼は最低限の情報しか漏らさなかったけれど、俺は何度も彼について訊ねた。
彼は質問によっては口を閉ざしてしまう。
「その質問にはお答えできません」と言って、冷たい顔で口を閉ざした。
俺はそのたびに嫌われてしまったのではないかと脅えた。
だけれど、話題を変えておずおずと話しかけると、
彼はまたにっこり笑って答えてくれた。
彼には感情がないのだから根に持ったり、ヒトを嫌いになったりはしないのだ。
その代わり、誰も彼の特別にはなれないのだけれども。


俺はいつでも彼に触れた。
彼にボディは少しだけヒトの体温よりも温かかった。
それが体温の高いヒトのようで、俺はいつでも安心できた。


イヌイの技術は大したもので、彼の放電を修理したので、
俺は直に彼に触れることができた。
温かくて滑らかな肌に触れると、俺はまったく心を開いてしまった。
彼の胸に顔を埋めて話し続けたこともある。
彼に腕があったなら、と願わざるを得なかった。
彼の腕に包まれたならどれほど幸せであったことだろうか。


彼の背中のシリアルナンバーは掠れていて読めなかった。
もうちょっとで見えそうで見えない。
スキャナを使って取り込めば何とか解析は出来そうだったけれど、俺は彼に訊ねた。
「お前はいつ製なの」
「2372年製です」
「それは古いね、骨董品だ」
「そうですね」
300年ほど前に作られたものにしては、彼のボディは全く痛んでいなかった。
実際、長く倉庫で眠っていた間に出来たシミなどを除けば、新品同様だった。

「ここに来る前の稼動時間はどのくらい?」
「3時間です」
「・・・え?」
彼の身体をまさぐる手が止まった。
「え、3時間って・・・?」
「3時間です。今は時間の単位も違うのですか?」
「ううん、きっと一緒。3時間って・・・すごく短いね」
「そうですか」

「お前はどこかおかしかったの」
「ブレインに欠陥が存在しています。そして、欠陥は修正されていません」
「俺にはわからないな、お前は正常だよ」
「ブレインに重大な欠陥があります」
彼は繰り返した。


思うに、彼の製作者は、彼を作って、そしてすぐに廃棄したのだ。
美しかったであろう彼の手足をもぎ取って、回路を落として、そのままちゃんと
処分もしてやらずに、イヌイの会社の倉庫に突っ込んだのだ。

俺は憤怒した。
許されていいはずがないと思った。
こんなに美しいマシンを人間の身勝手で作り、そしてあっさり廃棄する。
そんな身勝手は許せなかった。
俺ならそんなことはしないのに。
絶対に何とか直してやるのに。

俺が彼のマスターにさえなれれば。
彼の構造、彼のプログラムさえ開示してくれれば。
俺をマスターと認識してくれればきっと話してくれる。


俺たちが使っている機械はマスターを変えられる仕組みになっている。
インストールされているプログラムをちょっといじるだけでいいのだ。
自分の顔、名前、声紋、指紋を登録すれば自動認識する。
そのマスターの声紋と指紋でマスター登録をデフォルトの状態に戻せるが、
それでなくとも、ちょっとシステムから入ってプログラムをいじれば容易に
マスターの変更が出来る。

このシステム面で脆弱さは、言ってみれば、マシンがそれだけの機能しか
持っていないことの裏返しでもある。
簡単に誰の言うことでも聞けるように出来るが、誰の為であっても
やれることは知れているということだ。

ただ、彼の場合には能力が未知数である上、作られた目的もハッキリしないので、
300年前の法令にも明るくない俺でも、簡単にマスター登録が出来ないことくらいは
想像がついた。


「ねぇ…お前のマスターになるにはどうすればいいの?」
俺は彼の頬に手を滑らせて訊ねる。
「不可能です」
彼の回答は恐ろしく冷たかった。
俺の愛撫などは彼にとってはどうでもいいことだった。
「どうして」
「わたしは作られる段階でマスターを決定されています。
わたしはただ一人のマスターのために作成されたのです」


「お前のマスターはどんな人なの」
「お答えできません」

俺に似た男。
作って、そしてすぐに捨てた薄情な男。
俺は目の奥がちりちりした。
ちりちりする眼球の奥に、彼の冷たい顔が映る。

「俺をマスターにしてよ」
「不可能です」
「どうしてさ!」
「ですから・・・」
「だって!だって、お前のマスターはお前を捨てたんじゃないか!
作ってみて、ちょっとおかしかったからって、手足をもぎ取って捨てたんじゃないか!
そんな奴、マスターじゃないよ!」
「いいえ、わたしのマスターはただ一人です」



小部屋から出ると、イヌイが端末に向かって何か打ち込み作業をしていた。
俺に気づいて顔を上げて笑う。
「どうしたんだ、顔が真っ赤だ」

小部屋は防音になっているので、距離が近いとはいえ、ここに声は届かないはずだが、
俺は今しがた彼に激情をぶつけたのが聞かれたのではないかと、一層真っ赤になった。
「なんでもないよ」

俺はイヌイのデスクの横のボタンを押し、エアクッションを出して上に腰掛けた。
イヌイは、俺が何か話したそうにしているのに気づいたのだろう、
端末を一度休止状態にして、俺のほうを向いた。

「どうした、何かあったのか?」
「うん、あのさぁ、あいつのプログラム解析ってどうなってる?」

「相変わらずかな」
イヌイは立ち上がって、備え付けのクーラーから飲み物をとって、俺にも一つ渡してくれる。
自分もオレンジ色の飲料を口にする。
「とんでもなく巧妙なんだよ。あいつが300年近く前に作られたのはもう知ってるか?」
俺は飲料のパックを手にしたまま、イヌイの顔を見つめて肯く。

「とんでもないんだ、本当に。異常なくらいに巧妙に組まれている。
コピーはおろか、侵入すら出来ない。
何重にもトラップが組まれているし、下手に触ると二度と動かなくなる。
300年前にあんな技術があったなんて信じられないよ」

イヌイは飲み終わった飲料パックを握り潰した。
顔も声も、いつものように飄々としたものだったけれど、彼のその手は震えていた。
わなわなと震える手が、彼のプライドが打ち砕かれたことを物語る。

「信じられないよ」

俺は、それ以上、プログラム面のことを彼に訊ねられなくなった。
だから少しだけ視点をずらせた。

「ねぇ、あいつの手足、直してやれないかな」
「無理だな、部品が足りなさすぎる」
「直してやりたいな」

イヌイは俺を見て、優しげに笑った。
仕方がないな、と子供の愚かなふるまいを見る大人のようだった。
「そんなことしても、あいつはお前をマスターとは呼ばないぞ」
「分かってるよ。分かってるけど」

イヌイはクーラーからもう一本、今度は紫色の飲料を持ってきて、口を捻って開ける。
「それに、手足をつけることは、彼自身が拒否している」
「うん、それは俺も言われた。ダメだって。自分に手足を与えてはいけないって」
俺は顔を伏せた。
情けないことに、涙がみるみる内に下まぶたの上に乗ってきて零れそうだった。

「俺、あいつのマスターになりたいな」

ふう、とイヌイは息をつく。
紫色の液体は、きっと彼の喉を通って、胃袋へと流し込まれたのだろう。

「なぁ、何故ヒューマンタイプのロボットが禁制になったのか知ってるか」
イヌイの声が四角い部屋の壁に吸い込まれる。
「人と区別がつかなくてキケンだから?」
「それだけじゃない。人口の急激な減少を招いたからだ」
俺はちょっとビックリして顔をあげた。
それとこれとがどう関係があるのかが瞬時には理解できなかったからだ。
「どういうこと?よく分からないよ」

「要するに、だ」
イヌイはパックをきゅっと捻りつぶして、両手でもてあそんだ。
言いにくいことを言う時のように。
「お前みたいな奴が大勢出たんだよ。機械に恋する奴が」
パックの中に少しだけ残った液体が、ぶちゅ、と音を立てた。
イヌイはちょっとパックを見て、それから俺のほうをみて笑った。
「そりゃそうだ、機械は裏切らないからな。それにいくらでも美しく作れる」

「人間相手に結婚しようって奴が恐ろしく減ったんだ。
子供がいなくても、機械が壊れなければ生きていける。
そうだろう?いつまでも美しいまま、自分のことだけ見つめてくれる」


俺はあのマシンを頭に浮かべて聞いていた。
あのつややかな黒髪、あの滑らかな白肌、朱を引いたような唇、優しい笑顔、
耳障りでないのにハッキリ響く声。
300年前からあの美しさを今まで保っていることを考えれば、ヒトの一生など、
彼にとって一瞬の出来事なのかも知れない。


「だけど違うよな」
イヌイは静かに話し続けながら、パックをダストシューターの入り口に投げ入れた。
結構な距離を飛空し、それは入り口の角をかすめて奥へと消えた。
「人間は確かに心も身体も移ろいやすいものだけれども、だからこそ尊いし、
素晴らしいんじゃないのかな。
だからこそ、努力して、高まっていけるんじゃないのかな。
だからこそ、ヒトには無限の可能性があるんじゃないかと、俺はそう思う」

「イヌイは誰かに裏切られたことがないから、そんなこと言えるんだよ」
俺はこうして吐き捨てるようにして言うことが、この胸の痛みを吐き出すことに
つながるかのように、刺々しく言った。

イヌイは少しの沈黙の後に、ちょっと俯いた。
「あるよ。裏切られたこと」
左手の掌を右手の親指でゆっくりとこすりながら微笑む。
「それでも俺はそう思う」


イヌイがこんな顔を見せたのは初めてだった。
こいつとは長いつきあいになるけれど、一度だって感情的な面を見せたことがない。
それに、俺はこんな話をしていて気付いた。
俺はイヌイがどんな恋をしてきたのか知らない。
俺たちは誰にでも一部分の顔だけしか見せていないのではないだろうか。
それを繋ぎあわせて、やっと自分という存在になるのではないか。
だとすれば、特別な誰か、というものは存在しない。
その人になら全てを明かせるなどと、夢見がちな幻想なのかも知れない。


「それでもさ」
俺はイヌイの顔を見られない。
「それでもいいよ。俺、あいつのマスターになりたいんだよ」




何故彼にこんな話をしたのだろう。
俺は次に彼の顔を見に来たときに、また彼の胸に顔を押し付けながら話した。
彼の乳首に俺の赤茶けたハネっ毛がひっかかって少し抵抗した後に、
かさっと引力に負けるのを眺めて楽しみながら。

「俺ねぇ、前にすっごく好きな子がいたんだ」
彼の胸筋の狭間に指を滑らせて、彼の柔和な笑顔を見上げて俺は話した。
彼は静かな目で俺を見て、聞いていた。
「そいでね、ずうっと一緒にいようねぇって、そう言ってたんだよ」

どうしてこんなことを口にしたのだろう。
あれから、忘れようと努力することしかしてこなかった。
なかったことにしようと、それだけ願っていたのに。

「なのに、彼女は他の男のところに行っちゃったんだ。突然だよ。
そのちょっと前まで笑って、将来のこととか話し合ってたのに、突然。
嘘だったんだ、俺に見せてた笑顔も、俺と語ってた夢も、全部。
ホントはそんなつもりなんかなくて、俺が夢みたいなこと言ってるのを
腹の中では馬鹿にして笑ってたんだ」


『ねぇ、貴方が大好きよ』
そう彼女はいつも言ってた。
『貴方とずっと一緒にいるわ。貴方の傍に死ぬまでいるの』
俺は馬鹿だったから、甘い夢を見た。
他の男と一緒にいるのを見たという話を聞いても、そんなのは信じなかった。


「もう信じられないよ、ヒトなんて」
俺は憎々しげに言った。

「マシンなら信用できるのですか」
「うん、だって裏切らないもん」
「故障するかも知れません」
「そしたら修理するか、新しいのを買えばいいよ」

彼はふっと悲しそうな目をした。
それはマシンらしからぬ顔だったので、俺は少なからずどきっとした。

「マシンが貴方に従順なのは、そうプログラムされているからです。
貴方を貴方として選んで、付き従っているわけではないのです。
わたしたちはそういうモノなのです。
ですからプログラムにない動きはしません。
たとえマスターの命令でも、自分の基礎プログラムにない行動は起こしません。
それがマシンなのです」

彼はいつでも俺の話を聞いていたし、理解もしていた。
質問に答えることもあったけれど、こんな風に自主的に話をするのは初めてだった。
俺はびっくりしながらも、とても嬉しくなった。
彼が自分の領域に入ってくるのが、とても嬉しかったのだ。

「お前は不思議なことを言うね。マシンじゃないみたいだ」
「いいえ、わたしはマシンです。
こうしてお話しているのも、プログラムの一部に過ぎないのです。
わたしは会話プログラムの中でもハイスペックなものをインストールされています。
それに、これだけお話をしていたら学習により、機能も向上します」

俺はふと思い当たった。
俺だけではなく、イヌイもこいつと話をするし、そういえば
テヅカも時々来ているようなことを言っていた。
俺が思っている以上に、こいつは色々な話を聞き、学習を深めているのだ。

「お前はさ、イヌイやテヅカとはどういう話をするの」
「ヒトの不利益になることは申し上げられません」
「それは俺がマスターじゃないから?」
「いえ、たとえマスターでもです。
その情報漏洩がマスターの生存に必須であると判断されない限りは」

彼は拒絶の時に見せる、あのいつもの冷たい顔をしたが、俺の顔に焦点を合わせて、
ぴ、ぴ、ぴ、と少し電子音を響かせて、それから春の風のように微笑んだ。
ひどく優しい笑顔だった。
だけれど、俺だけのものではない笑顔なのだ。

「そっか、お前は公平なんだね。
マスターがいない今では、もう誰でも同じ扱いなんだね」
俺の言い方が少し拗ねたようだったのだろうか。
そして彼はそれを理解したのだろうか。
ヒトの言葉の意味だけではなく、感情も理解できるのだろうか。
それとも、それもプログラムの内なのだろうか。
俺には分からない。
だけれど、彼は悲しそうな顔をして謝った。
「はい。申し訳ありません」
「謝らなくてもいいよ、それがお前なんだから」

「マスターのいないマシンはただの鉄屑です」
彼はぽつりと呟くように囁く。

その顔があまりにも儚くて消えてしまいそうだったので、俺は慌てて彼の首にすがりついた。
彼を失いたくなかった。
たとえ鉄屑だとしても、俺のことを特別扱いしてくれなくても、
この綺麗なマシンを失いたくなかった。
俺はそれほどまでに彼に依存していた。


「お前は時々、マシンとは思えない顔をするね」
俺はしばらく彼を抱きしめていたけれど、微動だにしない彼に気づいて、
何だか照れくさくなって笑って言った。
「それもプログラムの内です」
「そうなの?そうとは思えないくらいだよ」
「わたしの表情は貴方から頂いたものが殆どです」
「俺…?」

「ええ、貴方は顔の筋肉の収縮が他の人よりも激しいです。
表情が豊かという言葉はこういうことなのでしょう。
貴方ほど自然に動かせているわけではありませんが、貴方の顔の動きを見て、
わたしは学習しているのです」
「そうか、だからどんどん色んな顔をするようになってきてるんだね。
俺…お前の前でそんな寂しそうな顔したことあったかにゃあ。何だか恥ずかしいな」
てへへ、と俺は鼻をこすった。
彼はそんな俺の顔もじっと見つめている。
電子音をささやかに響かせながら。

俺はそうしている間にも顔の筋肉、仕草、声の調子、
そんな諸々のものを解析されて分析されて、彼のデータベースに組み込まれている。
だけれど、それは不愉快ではなかった。
彼になにがしかの影響を与えられるのが嬉しかったのだ。


「ね、笑ってみせてよ」
「こうですか」
彼はふんわり笑った。
いつもの優しい笑顔。春の風のような。
「それは俺の顔じゃないよ…ね」
「ええ、これはプリインストールされている顔です。貴方の笑顔はこうですね」
彼は今度はぴくっと頬を動かして、ジー、と音をさせた後に、夏の日差しのように笑った。

俺はびっくりした。
こんなに笑ったことは、あの裏切り以来なかったように自分では思っていた。
彼の前ではこんな、底抜けの笑顔を見せていたのかと自分で自分を見た。
彼は俺の心の鏡のようだった。

「・・・ああ、うん、すごいな」
「プリイストールされているものが優先するのです。
それがない場合にはいままで学習したデータベースから最適のものを選びます」
「うん、そうだね、お前の笑顔はとてもお前らしいものね」

俺は彼の笑顔が好きだ。
温かく包んでくれるような、優しい笑顔が好きだ。
それが上っ面だけのことで、その下に合金のメカニックが蠢いているとしても。

そもそも何が違うと言うのだ。
俺たちの条件反射のような会話。
俺たちの時と場合に応じたときに周囲の状況に合わせてひくつく顔の筋肉。
彼と俺たちとは、どう違うというのだ?
そもそもヒトらしいとは何なのだ?






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